人間を頼るな


> ありがとうございました、と言うか、何と申しましょうか・・・
> 既存のシステム、教育の中で「エリート」になると、結局こうなる、という好例
> ではあるかもしれません。
> 「子供のようにまっすぐな心を持つ」「独立心が旺盛で、原理的にものごとを考
> える知的能力を持った」人はやはり一握りなのかもしれません。
> 先週、ある学会に出席していたのですが、トップクラスの(国際的にもトップク
> ラスの)人は、やはり違います。
> 揺るがない確信と謙虚さを常に兼ね備えている。
> 若い研究者に、対等以下に遜って質問するだけでなく、自分の長年の見解を訂正
> することも辞さない。
> 「正直、胡散臭い話と思っていましたが、本日只今を以て撤回します。大変失礼
> 致しました。早速追試させて下さい。」
> 「長年の疑問が今の御発言で氷解しました。貴重な御指摘をありがとうございま
> した。」
> 世界の****と言われる人たちですよ。掲示板の連中に聞かせてあげたかった。
> 自然科学では、「昨日の常識:今日の非常識」は当たり前なのですが。
> ちなみに田母神論文に関するディベートは、更に「お話にならない」状態です。
> ディスペン/プレ・ミレの人々の頑迷さを思い出しました。
> 生命(肉体的)を扱う職業といのち(霊的)を扱う職業に同じ流れを見るとは・・・

教科書を丸ごと信じて大学に受かった人々ですから、疑うということを知らない。
何のための勉強だか。

私は、大学に入ってびっくりしたのは、本当に学問の先端を言っている人々は、「確実なことはない」と考えているということでした。

高校までの勉強のように考えていた私は愕然としました。

それまでのように提出されたものを忠実に記憶し、応用できるだけではだめ。

ある教授は、「こうこう言われていますが、本当のところはわかっていません。」とか「これにはこういう反論があって確実ではありません。」というような授業を延々とやるので、いったい何を信じていいのかわからなくなりました。

でも、これが本当に真理に忠実な姿勢なのだと思います。

よくTVで年金問題で国がずるをやったことについて街頭インタビューで「いったい何を信じていいものやら」と回答している人々がいました。

まさに、信じるに値するものなどこの世には存在しない。

人間も信用できない。

人間に頼って教会などに集まる傾向が日本人にはありますが、牧師は心の奥底で「自分は信用できない人間だ」と思っているのです。だから、虚勢を張ってカリスマとして振舞うような牧師は信用しません。信用してはいけない。

信用できるのは御言葉だけ。

これだけが土台であり、誰も信じてはならない。

御言葉以外を信じることは、偶像礼拝以外の何物でもない。

 

 

2008年11月19日

 

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