宇宙を人格的に描くべきだ


(1)
アトランタ空港に行ったとき、空港内を走る電車の声に違和感を覚えたことがあった。

機械声だったからだ。ロボットが話しているような声だ。ずっと聞いているとよくない。ジョン・ケージの音楽のように胃をやられると思った。

この声、よく宇宙人や宇宙の生命体の声として使われる。

つまり、我々の宇宙に対するイメージは、何か無機的な温かみのないものだ。

現代人は、宇宙を神の創造と見ず、偶然の産物と見ているから、こういったイメージになるのだろう。

間違っている。宇宙は神の創造であり、それゆえ、愛に満ちている。

クリスチャンは、宇宙を無機的なもの、非人格的なものとして描いてはならない。

宇宙は人格的であり、有機的なものだ。

我々は、漫画や映画などを通じて、間違った宇宙のイメージを持っているが、この宇宙は神の計画のもとにあり、ミクロの世界からマクロの世界までことごとく神の御心によって動いている。

だから、我々の前で起こるすべてのことは、神の手を経由して起こる。

御手によらないで起こることは一つもない。つまり、偶然などというものはこの世界には存在しない。

(2)
この世界が神の言葉によって統治されており、神という究極の人格によって完全支配されているゆえに、我々にとって、人間的コントローラーは不要だ。

社会主義者が社会主義制度を唱える手段の一つは、「経済の統制を取らないと、秩序が乱れ、富者が貧者を圧迫する」という理屈だ。

しかし、経済の統制は取られている。神によって。

神は、契約を守る人々を祝福し、破る人々を呪われる。

コツコツと仕事をするまじめな民族は祝福されて豊かになり、ごまかしたり盗んだりする民族は呪われて貧乏になる。

「いや〜、まじめだから信頼されて仕事が集まるようになるのではないですか?神は関係ないでしょう。」という人がいるかもしれない。

しかし、商売にしても、何にしても、仕事には、「人に報われないがやるべきもの」がある。

誰も見ていないところでコツコツとやった仕事には、報いが来る。

それは、ノンクリスチャンですら知っている。「誰も見ていないところで努力している人を神は見ている」と。

そうだ。

この世界、宇宙はすべて神によって統制されているから、隠れた善行や努力には報いがある。

その神から来る報いを待てない民族は愚かな民族である。

だいたいにおいて、貧困な民族は、製造業に投資できない。手っ取り早く稼ぐことができる商業に投資する。

日本人は、その点、クリスチャン的な民族だ。

「誰も見ていないが、コツコツと地道に努力する」から。

安易に金が転がり込む設け話に手を出さない。

世界経済のトップを走る民族はみな「コツコツ」派だ。

結局、隠れた神の支配を信じる人々がこの世界では勝つ。遠回りしているようだが、実は近道を歩んでいる。

我々にとって、経済統制のための官僚や政治家は不要だ。彼らが手を加えるとかえって市場が混乱し、変なことが起きる。

(3)
宇宙をどのように見るかは、いろんな場面において重要である。

泥棒や詐欺師など、近視眼的な人々は、要するに宇宙を無機的で、非人格的と考えている。

我々は、子供にこのような宇宙観を教えてはならない。

だから、漫画とか映画を見せる場合には、宇宙の描き方が間違っていると教えるべきだろう。

 

 

2007年12月22日

 

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