プレ・ミレでは教会を励ますことができない2


<S様>
アメリカで話題の「レフトビハインド」や、日本の代表的な新
神学者(例えば聖霊派の奥山先生など)が、こぞってプレミレ
を支持しているので、プレミレが正しいと考えてきましたが、
どうも考えを改めるべきようです。

「レフトビハインド」は、ヨブ記のように、人類の訓練のため
に、主が人類を艱難に晒すという世界観のようですが、それな
らまだ納得がいきます。しかし、聖書に反して、人間が終末の
日時を特定しようとし、そこまで冒涜的ではなくとも、終末は
免れないという退廃的な空気が流れれば、ご指摘の通り、キリ
スト教はカルト信仰になってしまうと思います。

<tomi>
同感です。

カルトの特徴の一つは、実社会からの遊離にあります。

聖書は、クリスチャンに「実社会から遊離しなさい。」とか「世は汚れているので、救いようがない。あきらめなさい。」とか言っていません。

むしろ、「地の塩、世の光」となって、人々を指導し、堕落を防ぎなさい、といわれています。

また、アダムが創造されたそもそもの目的は、「地を従えよ」ですので、地上のことを神の御心にそって考え、改革し、発展させる使命があります。

<S様>
プレミレのおかしさを決定的に感じさせたのが、「レフトビハ
インド」の、人々が消えていく描写で、もし大きな原発に勤務
している人が、みな誠実なクリスチャンだったら、七年も待た
ずに、人類滅亡です。笑い話みたいですが、プレミレを厳密に
考えれば、こんな可能性もある訳です。原燃の街のそばに住ん
でいますので、そんなことを考えました。

<tomi>
恐ろしいことですね。

タクシーやバスの運転手や旅客機のパイロットであるクリスチャンも同じと思います。

突然携挙があって、彼らが天に召されたらどうなるでしょうか。

残された旅客は、たまったものではありません。

これで証になるでしょうか。

レフトビハインドされたノンクリスチャンは、「あいつらのせいで、旅客機は墜落するわ、バスは暴走するわ、今とんでもないことになっている。あんな無責任な奴らの信じている教えなんてろくなもんじゃない。」と言うでしょう。

もしプレ・ミレを真剣に信じているならば、それらの人命を預かる職業についているクリスチャンはただちに退職すべきだということになるでしょう。

<S様>
主、特にイエス・キリストは、そんな教会や世界の行く末を、
望んではおられないでしょう。少なくとも、携挙の教理は、何
かおかしいです。

ただ、ダニエル書とエゼキエル書に、神の予知に基づくと思わ
れる、終末の描写がなされていますが、これが免れない未来を
指すとすれば、結局はプレミレと変わらないのでは?という疑
問も残ります。

<tomi>
プレ・ミレは、エゼキエルの第3神殿がこれからエルサレムの岩のドームのあたりに実際に建設されると信じています。

しかし、この預言の細部を見れば、これがありえないことであることが分かります。

神殿の敷居の下から東のほうに流れ出た水は、大きな、渡ることができないほどの川となり、「アラバに下り、海に入る」ので、「エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所になる」(エゼキエル47・8-10)と記されていますが、

「アラバ」とは、死海から紅海に至る砂漠地帯で、「エン・ゲディ」は死海の西側半ばにあり、「エン・エグライム」は紅海の北端の港です。

死海は、海面下400メートルのところにあり、エン・ゲディは死海から60メートル程上のところにありますので、エン・ゲディからエン・エグライムまで川ができるには、川の水は340m以上の落差のある勾配を上らねばならない、ということになります。

この神殿の細部の描写の非現実性はこの神殿そのものが象徴であるということを示しています。

もはや、石でできた神殿は再建されません。

イエス・キリストご自身が神殿であり、また、イエス・キリストにつながるクリスチャンの体が神殿です(http://www.millnm.net/qanda2/PylcmpB37128.htm)。

このエゼキエルの神殿は、イエス・キリストとクリスチャンの体を象徴しており、神殿から流れる川は、聖霊が全世界を満たすことを象徴しているのです。

 

 

2005年9月22日

 

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