聖書翻訳が霊性に及ぼす影響


<Q>
聖書テキストに関してですが、
長らく新改訳聖書を読み、口語訳のほうが
いいだろうと判断して数年前に変えましたが、
それでも翻訳に問題が多すぎる事実を知り
混乱しています。
まともな日本語聖書を渇望しており
どうしたらいいのもかと思っています。


<A>
今日本語でまともだと思われるのは、

新契約聖書(新改版)
基督教文書伝道会 発行
日本ナザレン教団千葉キリスト教会内
263 千葉市稲毛区穴川2-12-13
電話 043-251-9166

及び、

文語元訳でしょう。

文語訳は、改訳の作業が戦災で中断されたため、改訳されたのは新約聖書だけで、旧約聖書は元訳のまま残ったそうです。改訳は、Received Textではないようですので、元訳がよいようです。

それ以外、つまり、現代語訳は、テキストそのものがおかしい。それと、新改訳については、翻訳方針が前千年王国説(プレ・ミレ)に基づいています。ですから、プレ・ミレを信じやすいように訳されている。

さらに混乱を招いて申し訳ないのですが、Textus Receptusすらも何かの問題があるのではないかと考えています。

というのも、Textus Receptusをまとめたのがエラスムスだからです。

エラスムスは人文学者で、ヒューマニストです。彼の非宗教改革的思想を知っているので、何らかの人間的な誤謬が混じっている恐れを感じずにはおれません。

ですから、Textus Receptusだからよいというわけでもないように思います。

この方面での研究を、リベラルの神学者や神学理論をいっさい交えずに、聖書信仰に立つ生まれ変わった忠実な聖書的クリスチャン学者が行ってほしいと思います。

しかし、この世の中は、完璧を期待できませんので、今ある最善で満足する必要があると思います。


<Q>
嘘も大きくなるほどに、見抜けなくなるようで
聖書翻訳の問題点に関心のある人も周りではいません。
問題意識を持ったこと自体、神の憐れみなのでしょう。
偶然ではないと。
「神様が私たちに示してくださり、改革をしなさいと促しておられるのでしょう。」
と書かれていました。神の計画ならば必ず成就するでしょう。

<A>
私は、この問題について以前から「マイナーな部分で相違がある程度だろう」と考えてそれほど重視していませんでした。

しかし、よくよく内容を見ると、相違点がきわめて重大な部分にあると分かりました。たとえば、イエスの御名と職名である「キリスト」が省略されている。

これはきわめて由々しい問題です。現代のクリスチャンは、聖書を読む際に、ずっとイエスの御名と職名に触れられなかった。

このような重大な相違は、私たちの霊的生活に直結しています。

オリジナルの聖書からこのように遠いものに触れて、霊的な力がそがれないはずがありません。

この改変は、単なる部分的なものではなく、総合的、全体的な問題だろうと思います。

新改訳は、リベラルから信仰を守る目的で訳されたようですが、残念ながらテキストの問題において、リベラル神学を受け入れてしまった。

私は、福音派に存在する「牧師が教祖になりたがる傾向」の根源がこの聖書テキストの問題にあるのではないかと考えています。

日本の福音派教会は、各牧師が教祖になる傾向があります。それぞれが○○組のような集団をすぐ形成する。

ローマ・カトリックがバチカン写本を選択したのは、「イエスの御名と職位が省略されているから」でしょう。

マリア崇拝や聖人崇拝によって、イエスの影を薄くする傾向がローマ・カトリックにある。

その霊的な傾向にあのテキストは合致した。

そのテキストがプロテスタントにも入った。

だから、プロテスタントも、ローマ・カトリックのように、「人間崇拝」の傾向を持つようになった。

福音派に存在する異常なまでの牧師への帰依は、こういったテキストを使っていることも一因ではないのか。

テキストが霊性に及ぼす影響は強いと思います。

ぜひ一日も早く正しい翻訳で礼拝が行われるように願います。

 

 

2009年8月27日

 

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