自分で裁きを下してはならない2


ある牧師先生が、さしたる特定の罪もないのに退職に追い込まれることがある。

これは、「リンチ」である。

牧師が何か特定の罪を犯した場合には、免職は妥当だ。その場合でも聖書に則った対処が必要である。

悔い改めの機会を与えて、それに対してどのように対応するか見る。

悔い改めを拒むならば、免職、そして、除名しかない。

しかし、その正当な手続きを経ないで、自分たちの好みで追い出すならば、それは私的制裁であり、神に対する拒絶である。

「すべて立てられた権威は神による」と聖書は教えている。

だから、自分の牧師は、神が送られた人なのだ。

預言者を拒否することは、神を拒否することと同罪なので、リンチによって牧師を追い出す教会は、神を拒否する教会ということで、裁きが下る。

牧師を追い出すにふさわしい罪は、まず第一に教えだ。

進化論、輪廻転生、非六日創造説、学問を聖書の上に置く、聖書の健全な教理をまげて伝えるなどを行った場合には、免職に値する。

第二に、行い。聖書が禁じる行い、非行がある場合。

これが判明した場合に、クリスチャンは牧師に真相を確かめて、悔い改めの3ステップ(2人だけのところで責める、2,3人の証言で責める、長老会で責める)を経て牧師の悔い改めを促す。

それでも悔い改めない場合には、公に免職、除名を宣言する。

なあなあにして、放置すると、教会は途方もない損害をこうむる。

まず、異端に乗っ取られる。

教えが間違っている場合、間違った教えに着いていく教会員が増えて、最後には、まともな信者がいられなくなる。

すると、それまで献金で会堂を建設していても、それらの異端の教会員がその資産を相続することになって、正しい教会員の資産が奪われることになる。

教えで失敗すれば、すべて失敗なのだ。

牧師が何を信じているかはきわめて重大な問題である。

牧師に対する教えのチェックをいい加減にするならば、神の国は停滞どころか逆に縮小する。

それは、地上において神の国を拡大する使命を帯びている教会員にとって、自分の人生を台無しにされるのと同じ大問題である。

しかし、自分たちの好き嫌いで牧師を追い出す人々は、神から送られた人を拒否したので、二度とまともな牧師を送ってもらえないことが多いことに注意すべきだ。

神を侮る者は、手痛いしっぺ返しを食らう。

 

 

2010年8月16日

 

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