日本に関する仮説11


(1)
日猶同祖論問題に関わって驚くのは、無数のシンクロニシティ(同時性)である。

「あれっ!これは私がずっと考えていたことではないか!」とか、「なんと。この著者は私がたまたま知ったのと同じ神話に注目している。」「えっ、あなたもあの先生のテープを聞いていたのですか?」というような、偶然とは思えない、不思議な一致が多すぎる。

そもそも、一番最初のきっかけはまったく不意だった。

車関係で知り合ったK氏から真名井神社での一連の出来事を伺い、メシアニック・ジューの働きの傍ら日猶同祖論問題にも関わっておられらY先生から様々なことを教えていただいたことがはじまりだった。

最初聞いたときに、「ありえない。」と思った。あまりにも学界の定説とかけ離れていると感じた。

この件については、私は、完全な部外者だった。アメリカでラッシュドゥーニーの著作に出会ったときは、まさに「導き」を感じたが、日猶同祖論は、私にとって完全な異物であった。

しかし、それを一度聞いてから、この問題から離れようとしても離れることができなくなった。

偶然の積み重ねで、いつもこの問題に連れ戻される。

神が私に何かの仕事をさせようとしておられるとしか思えない。

実際、この件については、私が想像しているよりもはるかに大きな計画があると感じている。

というのも、私の母方の祖父がきわめて似たことをやっていたからだ。

祖父は大本教の熱心な信者であった。大本教において日猶同祖論問題は中心的である。祖父は、近所の人々を集めて、日本とユダヤの関係、伊勢神宮と旧約聖書との関係などについて講釈していたらしい。

しかも、それで信者を集めてプロとしてやるとかではなく、木工所経営のかたわらまったくのアマチュアとして教えていたという。

何か血というものを感じざるを得ない。

K氏が1988年に真名井神社(京都)に行って、偶然にも境内においてダビデの星と出会い、自分の先祖がユダヤ人であったことを直感し、自宅の奥さんにそのことを報告すると、その時奥さんはたまたま事務所の掃除をしており、人からもらったが興味がないので放置していた一冊の古いほこりをかぶった本をペラペラとめくっている最中だった。

その本には、古代日本にユダヤ人がやってきて、真名井神社という神社を建てたという記事が載っていた。

「おい、真名井神社という神社があってだな・・・」
「えっ?ここにも真名井神社って書いてあるけど・・・」

この時奥さんが読んでいたのが、『裏側から見た日本歴史』というタイトルの本で、著者が三村三郎という毎日新聞の記者で、彼は大本教の信者だったのだ。

この本は今でも大本教の出版社から出ている。

興味深いのは、大本教では綾部という町を特別な霊場と見ていることだ。

実は、K氏が所属していた教団の本部も綾部にあり、トップの牧師は、家紋が三つ木瓜の「西村」家の出なのだ(実際の姓は西村ではない)。

K氏の旅行記(http://www.millnm.8m.com/phileo/kusakabe/)にも出ているように、丹後で、家紋が三つ木瓜の「西村」家は、戦国武将朝倉一族の流れをくんでいるという。

K氏も朝倉一族であることが系図から分かっており、実に不思議なつながりというものを感じざるを得ない。

(2)
もう一つ、シンクロニシティと思われるのは、飛鳥氏の著作である。

私たちは、飛鳥氏とはまったく面識もないし、つながりもない。

しかし、奇妙なことにどちらも同じ時期に、同じことを偶然に学んできたのである。

私は、創世記から神の創造の方法が「光と闇」「男と女」「+と−」など、陰陽に従っていると感じていた。

創造は「分ける」ことを通じて進んだ。光と闇を分け、陸と海とを分け、男と女を分け・・・

そして、日本の文化を見ると、この陰陽の二元論で出来ているように思えた。

芸能や芸術の面において、流派には裏と表がある。「裏千家」と「表千家」。

実際に、日本の文化は道教とそこから生まれた陰陽道の影響を強く受けている。

私は、この道教というもの、陰陽思想というものが、古代ユダヤ教からきているのではないかとずっと考えてきた。

道教に由来するというダビデの星(六芒星)やソロモンの星(五芒星)がまさにこのことを証明していると思った。

飛鳥氏は、学研社から出ている「ネオパラダイム」シリーズの中でこのことについて述べておられる。彼は、ユダヤ教カッバーラの思想が中国に入り道教とかかわり、それが日本にも及び、相撲や神道の儀式や日本の風習の様々な面に影響を与えていると述べている。

しかも、彼は、裏神道のトップ八咫烏(ヤタガラス)という集団と接触し、神道の内部情報を入手された。

これは、驚くべきことである。八咫烏との面会と発言内容に信憑性があるかが問題だが、私は、飛鳥氏の話の一貫性と、私がこれまで漠然とながら感じてきた様々なインスピレーションと見事に符号一致することから全面的に信用している。

外部から眺めているだけでは限界がある。やはり、内部の人々の情報が必要である。伊勢神宮の内奥に何が隠されているのか、それを隠してきた人々から直接話を聞くことができれば、日本という国の秘密が明らかになるだろう。

10年ほど前に伊勢神宮の内宮の門の前に立ってときに心に湧き上がった願いを、飛鳥氏は見事に答えてくれた。

このほかにも飛鳥氏の説明の中で私が長年感じてきた疑問が解決されたことは無数にある。

偶然にしてはあまりにも奇妙である。

これは偶然なのか?神が私に回り道をさせ、誤謬の中を彷徨させられたのか?

私にはそのようには思えないのである。

 

 

2005年2月2日

 

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