「コロンブスとユダヤ人」 by ゲルハルド・フォーク博士


http://www.jbuff.com/c100903.htm


「1492年、コロンブスは真っ青な海を航海した。そして、彼の通訳はルーという名のユダヤ人であった。これは真実である。」

まさにそれは真実である。ルイス・デ・トーレスは、その年の8月3日にコロンブスとともに航海した唯一のユダヤ人ではなかった。

コロンブスの航海士であり、医者でもあった人々もユダヤ人だったのだ。これらの3人だけではなく、さらに他の2人も、航海前のある日に正式にキリスト教に「回心」したユダヤ人であった。しかし、彼らは他のユダヤ人やスペインのクリスチャンからユダヤ人として見られていた。このようにキリスト教に改宗したユダヤ人は、「マラノス」(つまり、豚)と呼ばれていた。

コロンブスがデ・トーレスを航海に加えたのは、彼がヘブライ語を話せるからであった。

コロンブスは、「世界の反対側に行けばヘブライ語を話すユダヤ人に会えるに違いない」と固く信じていた(または、信じたかった)。

彼は、そこで「イスラエルの失われた十部族」に出会うことができると信じていたので、ヘブライ語が話せる人間が必要だったのだ。


コロンブスの航海の資金援助が、2人のユダヤ人によって行われたことに留意されたい。つまり、フェルディナンド王とイザベラ女王の秘書ルイス・デ・サンタンゲロと、アラゴン国の大蔵大臣ガブリエル・サンチェス(もちろん、どちらも「改宗者」)であった。

デ・トーレスがヒスパノラに上陸した時に、ある鳥を孔雀と勘違いして、それにトゥキという名をつけた。トゥキとは、孔雀を表すヘブライ語である。それゆえ、今日我々はその鳥をターキー(つまり、七面鳥)と呼んでいる。現在、ヒスパノラは、フランス語を話すハイチとスペイン語を話すドミニカ共和国に分かれている。

デ・トーレスは、最後にキューバに落ちつき、新世界の最初のヨーロッパ人定住者になった。ノルウェー人は1000年にニューファンドランドに来て定住したが、なぜかその植民地は放棄され、その後歴史から消えてしまった。

すでに述べたように、コロンブスは、「失われた十部族」の伝説を信じていた。多くの人々がこの伝説を信じていた。現在でも信じている人が多い。今日、十部族はバビロニアに捕囚で連れていかれ、全アジアに移住し、アジア大陸の多くの文明にユダヤの文化の足跡を残した。そしてその影響ははるばる日本にまでも及んだ。

多くのアジア人(ほとんどが回教徒)が、金曜の夜にろうそくの火をともす。しかし、その習慣がなぜ両親と先祖たちから伝えられてきたのか知らない。

ある日本人のグループは、やぎを崖から追い放つという儀式すら行う。これは、ユダヤ人がヨム・キップールの儀式において行うことと似ている。


コロンブスの航海の宗教的な目的
コロンブスと日本

 

 

2005年5月31日

 

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