原爆と十字架


紀元70年のイスラエルの審判の後のユダヤ人を、異邦人の地に散った「裁かれたユダヤ人」と、日本にやってきた「赦されたユダヤ人」の2者に区別をすると、興味深いことが分かる。

原爆を開発したのは、世界離散したユダヤ人の子孫である。つまり、「裁かれて滅んだユダヤ人」の子孫である。


* アメリカを原爆開発に踏み切らせたアルバート・アインシュタイン
* 広島・長崎に原爆投下を決定したマンハッタン計画の責任者ユダヤ人J・ロバート・オッペンハイマー
* 「マンハッタン計画」指導者はユダヤ人の大富豪バーナード・
バルー
* これらの計画支援は有名なユダヤ富豪ロスチヤイルド
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/603.html

つまり、原爆とは、「イエスを信じずに裁かれたユダヤ人の子孫」が、「イエスを信じて救われ、新天新地である日本にやってきたユダヤ人の子孫である日本人」へ加えた攻撃だった。

だから、まさに原爆とは、十字架なのだ。

一方的に濡れ衣を着せられて、理不尽な裁きを受けた日本。

「いや、日本は中国や韓国を侵略したではないか。日本が一方的に被害者だとは言えないのではないか。」という疑問をもたれる方はいるだろう。

たしかにそうだ。イエスと違って、日本には責められるべきところが多々ある。

基本的に、あの戦争は、日本の指導部による大陸進出への野心がなければ起こらなかった。

だから、日本を一方的な被害者と見る見方はできない。

しかし、我々の個人的な生活を見ても、クリスチャンであるがゆえに迫害を受けるということはある。

我々は、精錬潔白な人間ではない。我々はどうあがいても、聖人君子にはなれない。

我々は、「赦された罪人」にすぎない。

しかし、我々は、イエス・キリストと一体であり、イエス・キリストの御足の跡を踏むものであるがゆえに、イエス・キリストと同じような苦しみを味わうことがある。

私が原爆は十字架であった、というときに、それは、「イエスと同じようにいかなる罪も非もない純潔無垢のものが、一方的で理不尽な裁きにあったようなものだ」ということを言おうとしているのではなく、「罪あるクリスチャンが、イエスの御足の跡を踏む者であるがゆえに理不尽な裁きにあったようなものだ」ということを言おうとしているのである。

原爆はあまりにも理不尽である。

数千度の熱と爆風と放射能によって女性や子供、老人など非戦闘員を含む無数の人々を無差別に殺傷する非人道的兵器である。

どんな理由によっても肯定できるしろものではない。

明らかに、実行者は、戦争裁判において死刑判決を受けるべきである。

最近様々な資料が明らかにされ、日本の対米開戦は、巧妙に仕組まれた計略であったことがわかってきた。

世界政府を目指すグローバリストによる誘導がたしかにあった。

さらに資料が明らかにされれば、中国における日本の残虐行為、大虐殺などについて真偽が明らかになるだろう。大陸において軍がどうして暴走したのか。

私は、この一連の暴走も、ある計略に乗ったがゆえに起こったと考える。フセインがアメリカの計略にはまってクウェート侵攻したように。

日本は、日本の完全支配を目指すグローバリストたちによって誘導され、無謀な戦争を起こし、そして、支配されたのだろう。

だから、イエスの運命とある程度重なると思うのである。

原爆は、神の側に立つイエス及びクリスチャンに対する悪魔の側に立つ非クリスチャンユダヤ人の攻撃・十字架刑と同じ図式だと思う。

日本は戦争の悲惨さを示すモデルとして世界統一政府論者に選ばれていたのでは?
石原莞爾は世界統一政府論者のエージェントだった?
日本は原爆を落とされるに値することをしたのか?―大東亜戦争と共産主義の謀略

 

 

2007年8月9日

 

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