聖書解釈の基本(文脈理解)を重視せよ


<O様>
お忙しいところ、詳細な御教示を賜り、恐縮です。
今のところ、聖書をあっちこっち、ひっくり返しながら勉強しております。
さて、聖書のメッセージには「to us」と「for us」があるとのことですが、どこで線引きをするのでしょうか。再建主義にしても、プレテリズムにしても、これまで講壇や成書でなされてきたメッセージがひっくり返るパラダイム・シフトなので、聖書の読み方から変えていかなければならないと考えられます。フルとパーシャルとでも大きく異なるでしょう。
各論的な質問は、私の勉強が進んでから改めてさせて頂きますので、今回は総論的な御教示をお願い致します。

<tomi>
to usとfor usを区別した覚えがありませんので、これらが何をさしているのかわかりませんが、類推で次のように定義します。

(1)to us
聖書は、直接の読者に向けて書かれた「私的文書」であると認めること。

(2)for us
聖書は、その私的文書を普遍的な教訓として読み取るべき「公的文書」であると認めること。

私は、この2つの性質が聖書にはあると考えています。

これは、他の文学書などにも当てはまりますが、日本の古典の『日記文学』などにも、第三者に見られることを想定して書かれていないものがあります。

そのため、誰について述べているのかがはっきりとしない文章もあります。なぜならば書き手と受け手の両方にとって自明の人物なのであえて名前を書く必要がないからです。

そのように、聖書の各書も、その直接の読者に向けられているものを、第3者である2000年後の日本に住む我々に直接に向けて語られていると考えてはならない部分があります。

だから、手紙や文書の宛名を確認し、その当時の時代状況や文脈を正しく把握して、その背景状況の「中で」聖書を読む必要があります。

しかし、プレ・ミレの終末預言解釈は、この文脈から離れて、イエスが預言されたエルサレム陥落の前兆を、2000年後の世界に適用して、「大患難が近い!」と叫んでいる。

24章の前兆は、破壊される前の神殿を見ていた弟子たちに向けて語られたのである。

黙示録も同じです。

黙示録の初期の部分に出てくる「東の方からの神の印を持った天使」を日本だと解釈する人々がいます。

彼らは、日本は、これからの終末の時代において重要な働きをすると考えている。

しかし、この記事の後に出てくる黙示録13章の「獣」について、ヨハネは直接の読者(アジアの7つの教会のクリスチャン)に向かって「この数字を解け!」と述べている。謎を解くことを勧めている以上、この獣が彼らが類推しても無駄になるような2000年後の反キリスト(たとえば、ロスチャイルド、ヒトラー、毛沢東・・・)であるはずがない。

ということは、黙示録の初期のほうの記事も、同じように、当時の直接の読者が読んで意味がわからないものであるはずがない。

こういった聖書の文脈的理解の伝統を無視する解釈を近年、教会はずっと行ってきた。

この解釈にしたがって、終末の絵巻物が形成されてきた。

これらは、全部、聖書解釈の基本を無視した結果です。

 

 

2004年10月18日

 

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