日本に関する仮説31


(1)
ユーチューブなどを見ると、西洋人は、日本人と中国人や韓国人の区別ができていない。

もっとも外見が似ているから仕方がないのだが、我々日本人は中国や韓国の人々との違いがあることをはっきりと理解している。

人々は気づいていないが、この違いは「聖別」である。

つまり、日本と、中国及び韓国との間には、結界が存在するのだ。

聖書において、クリスチャンは、聖別された民である。

聖別とは、神の民として神に似たものになることである。

この結界となったのが、契約だ。契約の内にいるか、それとも、外にいるかで、まったく人種が異なる。日本海など日本の周りの海はこの結界を象徴している。

日本人は長い歴史を通じて、先祖が神と結んだ契約の中にとどまり続けた。

だから、我々は生まれながらに聖なる家の中で育った。

聖別とは、単なる宗教的な区別ではない。

衛生面においても、区別があった。

ヨーロッパにおいてペストが流行した際に、ユダヤ人だけがそれにかからなかったという。

なぜならば、彼らは律法によって衛生的な生活を送っていたからだ。

イエスの時代から食べ物を食べる際に、人々は皿や手を洗った。

日本人も清潔好きで、毎日風呂に入る習慣がある。

ユダヤ人の衛生観念が、ヨーロッパの異邦人と異なったように、日本人のそれは、中国や韓国と大きく異なる。

中国や韓国は歴史的に、人糞を忌避しない。


朝鮮では、6年以上父母の糞を嘗めつづけ看病し病気を治した孝行息子の話などの記録があり、指を切って血を飲ませる「指詰め供養」(断指)や内股の肉を切って捧げる「割股供養」などと共に、親に対する最高の孝行の一つとされた。断指及び割股に関しては『三国史記』の統一新羅時代に記述が見られる為、同時代に唐から入ってきたと推測される。こうした風習は朝鮮時代まで続き、日韓併合後に禁止された。世宗が編纂を命じた儒教的な教訓を纏めた書、『三綱行実図』には孝行の一例として挙げられている。『朝鮮医籍考』によると、後に娯楽化し、人の糞を舐めてその味で誰の糞であるか当てる遊びが流行した。
また、朝鮮王の中宗は、解熱剤として人糞を水で溶いたものを飲んでいたという(東亜日報 2005年8月22日)。
20世紀に入っても人間の大便を民間医術に使用する例があり、『最近朝鮮事情』には重病人に大便を食わせる例が載せられている。また『朝鮮風俗集』には人中黄(冬期に竹筒に人糞と甘草を交ぜ地中に埋め、夏期に取り出し乾燥させて粉末にしたもの)と言う民間薬が載っている。
(Wikipedia、『嘗糞』)

日本の統治によって、はじめて韓国人は人糞を口に入れることをやめたというのは重要な事実だ。

日本人は、契約の民として、神の衛生律法を習慣の中で遵守してきたのではないだろうか。

風呂は、ユダヤ人と同じように、体を外で洗った後にはじめて風呂桶に入る。

神道の禊は、明らかに洗礼と同根であろう。

古代の記録によると、秦氏は、背が高く、清潔な衣服を身に着けていたという。
http://plaza.rakuten.co.jp/newzea/8007

ユダヤ系クリスチャンであった秦氏は、契約的衛生観念を持った人々であった。

大嘗祭で、天皇が湯帷子を着て水に入り、新しいそれに着替えて出てくるという。

明らかに「水による聖め」という秦氏の聖書的信仰の影響が見える。

我々が中国人や韓国人と同一視されるときに感じる違和感は、この「契約的結界」によるものである。

彼らと我々は、契約によって仕切られていたのだ。

単なる民族的な違いによるものではない。

(2)
以前、御国は3x4の構造であると述べた。

契約の箱、幕屋、神殿、契約に関する多くのものにこの構造を認めることができる。

日本は、地を4とし、富士山を3とする御国の構造によって成り立っているのではないかとも述べた。

古代の神道では、本殿がなく、拝殿だけで、人々は、その代わりに山を拝んでいたという。

これも非常に契約的である。

なぜならば、エデンの園は、山の中腹に作られていたと考えられるからだ。

エデンの山から水が流れ、それが、園を潤し、そこから4本の川が流れ出ていたと創世記に記されている。

山は、神の祝福と同時に法の授与を象徴する。

イエスは、新約の律法を山の上から語られた(マタイ5章)。

山頂は、神の象徴である。

だから、古代の神道において、人々が山に向かって礼拝したのも当然と言える。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。 (詩篇121・1-2)

神の救いを待ち望んだダビデは、山を見上げた。

同じ信仰である。

私は、正月に供えるお供えの餅の3段も、おそらく山を模したものではないかと思う。

つまり、ピラミッドと同じ意味だ。

山が神を象徴するならば、三位一体論者である秦氏が富士山信仰を持っていたのもうなづける。

3つの山から成る富士山を、父子聖霊の三位一体を表現していると考えたとしても無理はない。

秦氏の子孫は、富士山の近辺に住んでいたと思われる。

富士山の近くにある秦野市は、秦氏の本拠地とも言われる。

市内の乳牛(ちうし)という場所では、雨乞いにキリストの十字架が用いられてきたという。
http://www.h2.dion.ne.jp/~ptrnet/kakurekirishitan.htm

門松は、3層構造になっており、これは、カバラの世界観を表現しているという(飛鳥・三神両氏)。

竹を山の形に編むのは、三つの山を表現したという。

そして、節が三つあるのは、3層の構造を示していると。

つまり、生命の樹において表される3x3のカバラの世界観だ。
http://www.millnm.net/qanda3/treeoflife.gif

私は、聖書にある、山=神=救いの象徴は、日本のお供えの餅や門松において表現されていると思う。

地の象徴は4、中心は3、そして、この中心の3は、3層に分かれている。

まさに、ノアの箱舟と同じ構造である。

日本は契約の国であり、それゆえ、中国と韓国とはまったく異なるということがお分かりだろうか。

 

 

2008年11月30日

 

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