アメリカと資本主義陣営の社会主義化

 

 

アメリカとソ連の対立を、資本主義国と社会主義国の対立と見るのは間違いである。

 

なぜならば、フランクリン・ルーズベルト大統領以降、アメリカは社会主義国化したからである。戦後日本を含む資本主義陣営に属する国々も、アメリカにならって社会主義政策を採るようになった。

 

現在の福祉国家、社会主義政策、大きな政府の起源を調べる上でフランクリン・ルーズベルトの政策に通じることは重要である。

 

William L. Andersonの論文「The New Deal and Roosevelt’s Seizure of Gold: A Legacy of Theft and Inflation(ニューディールとルーズベルトの金の没収:盗みとインフレの遺産)」(http://www.lewrockwell.com/anderson/anderson154.html)はこの問題を扱っている。以下要約。

 

 

ニューディールを扱った大多数の記事・著書・論文は、ルーズベルト政権がとった無数の計画や政策、及び、ルーズベルトと最高裁との闘いに焦点を当てているが、1935年の主要な要素を落としている。そのほとんどにおいて――とくにルーズベルトに好意的な書物において――著者は1933年当時の合衆国(及び世界の多くの地域)を支配していた失業と社会不安を強調する傾向がある。

 

たしかに、おびただしい数の失業者がいたのは事実だ。ルーズベルトが政権につく1ヶ月前の19332月に、国内失業率は28.3%であった。合衆国の銀行の半数近くが倒産し、数百万の人々がホームレスになった。

 

しかし、問題は、ルーズベルトが恐慌を止めようとした意図にあるのではなく、むしろ、恐慌の原因を誤解したこと、そして、最終的には恐慌を引き伸ばすことになってしまった間違った政策を実行したことにあった。ルーズベルトと彼のアドバイザーたち(ほとんどがコロンビア大学卒)は、自由市場の資本主義こそ、経済的な落ち込みの原因であり、政府が経済を計画的に導かねばならないと考えた。

 

ルーズベルト政権を支配した進歩派の人々は、経済的な落ち込みの主要な原因は、賃金の下落だけではなく、価格の下落にもあると考えた。さらに、彼らは価格の下落の原因は「過剰生産」にあるため、「解決」は、商品生産を制限する方法を見つけることにあると考えた。

 

そのため、ニューディーラーたちは、「政府は生産を制限し、価格を強制的に上げるべきだ」と考えた。「価格が上がるにつれて、賃金も上がる。高賃金によってアメリカは恐慌から脱出できるだろう」と。

 

彼らにインスピレーションを与え、指針を示したのは、イタリアのファシスト独裁者ベニート・ムッソリーニの経済計画であった。

 

普通、単純に考えると、もし生産量を減らすならば、労働力が不要になるため、失業が進むということになるのだが、ルーズベルトや彼のブレーンたちはそう考えなかった。彼らは次のように述べた。

 

「生産を抑制すれば、倒産する会社も減り、失業者も減る」と。

 

例えば、ルーズベルトは、「全国産業復興法」によって、企業の生産を抑制し、価格を強制的に釣り上げ、高賃金を確保させしようとした。皮肉にも、この法律は、ハーバート・フーヴァー政権がバラバラに試み、失敗した様々な計画の集合でしかなかった。

 

「農業調整法」は、穀物価格を高水準に維持することを目的としていた。農業生産を制限し、過剰生産物は政府が買い上げるなどして農産物価格を安定させ、農民の救済と購買力回復を目指した。

 

このように、ニューディールの経済政策の理念は、「生産は悪で、非生産は善」ということだった。

 

経済学者や慧眼のジャーナリスト(HL・メンケンなど)たちは、すぐにこの政策の愚かさを指摘したが、ニューディーラーは「我々にはインフレという奥の手がある」と信じていた。

 

その理屈とはこうだ。「政府がインフレ誘導すれば、ドルの価値が下がるので、金を多くの商品と交換するようになる。すると購買が進むので、失業は解消する。」

 

恐慌当時の合衆国の金融制度は金本位制だったので、長期間インフレを支えることはできなかった。もし人々が「政府は紙幣を刷り過ぎている。」ということに気づけば、彼らは(兌換紙幣だった)ドル札を持って、政府の窓口に行き、金と交換して欲しいと言うだろう。

 

さらに、当時、銀貨、半ドル硬貨、25セント硬貨、10セント硬貨が金貨と並んで流通していた。人々がドルを金と交換すると、政府自身の金の供給量が減る。金本位制には、国が供給するお金の少なくとも40%は金によって裏打ちされていなければならないという規定があったので、金準備量が減少すると、政府はあまり多くのドルを印刷できなくなってしまう。

 

このため、ニューディーラーの計画は、金本位制によって制約され、そのせいでインフレを起こすことができなかった。

 

193345日、大統領になって初期に、ルーズベルトは大統領命令6102号を発令した。これは、金を政府に1オンス20.67ドルで拠出することを命じたものであった。金貨100ドルまでは保持することが許されたが、残りは没収された。

 

さらに、大統領命令は、金での支払いを求めるすべての民間契約を無効化した。そのため、バージニア州上院議員カーター・グラスはこの政策のすべてが「侮辱」であると宣言した。

 

ルーズベルトはこの命令の根拠を1917年の「敵国との取引に関する法令」に求めた。この法令により、大統領は、戦時下において、国民が「金を蓄える」のを禁止することができた。

 

もちろん、1933年に合衆国は戦争をしていなかったが、ルーズベルトは「今は、国家的非常時である」と宣言し、議会も裁判所もこの命令に服従せざるを得なくしたのである。

 

昔だったら、このような命令は猛烈な反対にあっただろう。自由を愛するアメリカ人は、政府によるこのような没収に抵抗したことだろう。

 

たしかに、この「進歩の時代」以前において、このような命令を出せば、大統領は弾劾裁判にかけられこそすれ、再選など絶対にありえなかった。

 

しかし、ルーズベルトが就任した1933年までに、裁判所は、政府が弁論の自由に制限を加えることに賛成していた(とくに第一次世界大戦)。議会も、憲法に反し、自らの立法権を行政に譲りわたしはじめていた。

 

さらに、ルーズベルトが大統領命令6102号を発令した時に広がっていた恐慌により、多くのアメリカ人は、「経済的・政治的自由とは、飢え死にする自由である」と考えるようになっており、大統領が行うことは何でも受け入れようという気持ちになっていた。

 

ルーズベルトは第9節(反逆する者には1万ドルもの罰金を課すか、最高10年の懲役刑に処する)をちらつかせながら、6102号を施行しようとしていた。(ほとんどのアメリカ人は反対しなかった。この命令が無効化するまで金を手元に隠しておいた人はいたが。)

 

ルーズベルトは、米国市民に対して、ドルを金と交換することを禁じたが、同じことを外国人に行うことはできないと考えた。外国政府代表者たちはいぜんとしてドルで取引することができた。大統領命令発令直後、金の価格を35ドルに上げた。しかし、当時の国際取引の状況から考えると、諸外国のドル保有額は50年後と比べると少なかった。

 

インフレ初期に通常見られるように、ルーズベルトが作り出した小規模のインフレによって景気がわずかに好転した。失業率は15%に留まってはいたが。しかし、第1ニューディールと歴史家が呼ぶところのルーズベルトの2大政策は、製造業者や企業家を破滅に追い遣った。1935年に、合衆国最高裁は、「全国産業復興法」も「農業調整法」も違憲であると宣告した。しかし、その頃までにニューディーラーは、企業カルテルを是認する政策から、労働者の組合形成による労働カルテルを促進する政策へと方針転換していた。

 

1937年に合衆国最高裁が1935年の「公正労働基準法」の支持を決定すると、インフレ誘導による「好景気」はすぐに終息し、経済は「恐慌の最中に」不景気に突入した。これは米国経済においてはじめての出来事であった。失業率はほぼ20%に上昇した。しかし、ルーズベルトが没収した金は、経済の回復にまったく貢献せず、さらなる不景気への元凶となった。

 

1971年のドル崩壊

1944年のブレトン・ウッズ協定以降、通貨は互いに固定され、外国政府はドルを1オンス35ドルのレートで買うことができた。第二次世界大戦後約20年間、この体制は有効であると考えられていた。しかし、リンドン・ジョンソン大統領がその「偉大なる社会」理念に基づいて福祉政策を拡大し、また、ベトナム戦争への本格介入を決定した結果、歳出が拡大し、それをまかなうために連邦準備制度が貨幣の供給量を劇的に増大した。その結果、国内において貨幣の価値が低下しただけではなく、世界中にドルが溢れるようにもなった。

 

ドゴール大統領のフランス政府は、事態を見て、1933年の固定レートでドルを金と交換しはじめた。合衆国代表者たちは最初「問題はない」と言っていたが、1971年中ごろまでに、合衆国の金準備量は急激に減少し、リチャード・ニクソン大統領は、金との交換を停止し、賃金と価格の統制を開始した。その年に、価格統制は停止されたが、石油とガソリンの価格統制は、その後10年間続き、経済を未曾有の破局に導いた。

 

結論

フランクリン・ルーズベルトの政策の特徴は、傲慢と詐欺である。不幸にも、彼の伝統は今も生き残っている。多くの歴史家と経済学者が「ルーズベルトの経済政策こそ『資本主義を救った』」と述べているが、実際は、財産の没収と、「インフレこそ繁栄の源である」という間違った考えに基づいていたのである。

 

今日、合衆国の金融制度は、インフレによって価値の落ちたドルによって宙に浮いた状態にある。現在の金の価格は1オンス650ドルであり、ドルの価格は他の国際的通貨に対して低下している。連邦準備制度のインフレ政策に対する唯一の規制は、政治的であり、大多数の政治家とアメリカ国民は、「ドルを新しく刷ることによってアメリカは繁栄する」と信じるようになった。

 

1932年にフランクリン・ルーズベルトが選挙運動において掲げた公約は「歳出削減と健全な貨幣」であった。しかし、彼以降、政府は無鉄砲な歳出と経済活動への無謀な干渉に走り、米国貨幣価格は徹底的に下落した。

 

今日にいたるまで、米国大統領は、みなニューディール政策を継承・拡大している。

 

歴史家は、1933年の金の没収を歴史における小さな出来事と見るかもしれないが、それは多くの点においてきわめて重要であり、他のニューディール諸政策をあわせたものよりも大きな意味があると考える。

 

―――――――――――――――

William L. Anderson, Ph.Dは、メリーランド州フロストバーグ州立大学で経済学を教えている。