財産の没収 by R・J・ラッシュドゥーニー


1966年4月のニュースレター第7号において、「私有財産と憲法による保障が徐々に剥奪されている状況」について短く論じた。本号では、「財産の没収」について論じよう。

経済危機に関する調査を見ればわかるように、クリスチャンの観点から見て、現在の政策は愚かである。連邦政府が銀の価格を管理するなんてばかげているし、有害である。金の非現実的な価格は同様に我々にとって有害である。「奴らは自分がやっていることが分かっているのか?」という疑問が幾度となく湧き上がった。その答えは、明らかに「イエス」である。我々が今経験しているのは、「計画された愚行」であり、その目標は「没収」である。

マルクス主義経済の明確な目標は、「財産の没収」である。その目標は、共産主義経済の確立であり、自由な私有資本の破壊である。しかし、これは、ケインズ学派・新ケインズ学派・福祉国家経済にも共通する目的であった。(ちなみに、ウォルター・スコットによれば、ジョン・メイナード・ケインズは同性愛者であった(Parade誌1967年11月12日号2ページの記事”Parsonality Parade”)。彼は、この件に関する参考文献としてマイケル・ホルロイドのLytton Strachey, The Unknown Years(出版者:Holt, Rinehart, Winston)を挙げた。)ケインズが書いた非常に重要な著書『雇用と利子とお金の一般理論』(1936年)の要点の一つは、貯蓄への敵意である。彼は貯蓄を「悪徳」として描いた。…ケインズ経済は、貯蓄を破壊し、貯蓄を不可能にするための経済である。それを公然の没収によって行うのではなく、社会全体の福祉に対する人道的な関心として行うのである。どのような名前がついていても、やはりそれが財産没収であることに変わりはない。

さて、ケインズ経済が攻撃している貯蓄とは何を指すのであろうか。まず、この貯蓄という言葉の意味を定義することが重要である。それは、単なる銀行や貯蓄ローン団体の貯蓄口座ではなく、年金と保険ファンド、私有財産、相続財産、倹約と節約のしるしである他のあらゆる資産も含まれる。

この財産没収は、「混ぜ物をされたお金」=偽金を通じて実行される。レーニンがはっきりと述べたように「中央銀行制度と紙幣は、社会主義の十分の九」である。福祉国家は、このことをよく知っており、これと同じ前提で活動している。

金と銀は、実体のあるお金であり、実体のあるお金に基づく経済は、不健全な経済行為を健全にチェックする。このような経済においては、お金も銀行活動も、金に基づいているため、融資が際限なく拡大することはない。銀行ローンが金の貯蔵量の限界にまで膨れ上がった場合、利率が上昇し、融資は制限されるので、不景気になっても短期的であり、すぐに終わる。第1次大戦前に、合衆国の不景気は短期的であり、続いても数週間または数ヶ月でしかなく、その影響は部分的であった。不健全なビジネス慣行は、人間の条件である。そのような愚行を防ぐ手立てはまるでない。しかし、自由経済は兌換貨幣(hard money)に基礎を置いているため、融資には制限が伴う。愚かで不健全な融資は兌換貨幣によって制限される。銀行があまりにも放漫な融資をすれば、預金者が金でお金を下ろした場合、銀行は破産してしまうかもしれない。政府が不健全な政策を取るようになれば、金を引き出して蓄えるか、または、紙幣と交換に金を要求するだけで、我々は政府に不信任の意志を示すことができるのである。

しかし、社会主義は、勤労者や賢人、倹約家を罰し、愚か者を守り、彼らを支援することを望んでいる。不景気への社会主義の解決法は、お金と融資を管理することである。融資を増やすこと:これこそ社会主義者の解決法であり、社会融資のスキームである。アラン・グリーンスパンがGold and Economic Freedom (Ayn Rand, editor: Capitalism: The Unknown Ideal, 1967, p. 99)の中で書いているように、「銀行の準備高不足がある会社の業績を悪化させているなら、なぜ銀行に準備金を増額供給しないのか、と経済干渉主義者は主張する。そうすれば、資金不足に悩む必要はなくなる、と。銀行が無制限に融資できるとなれば、ビジネスにおいてスランプなどけっして起こらないだろう、と。」その結果、ある連邦局が創設された。その名は連邦準備制度といい、目的は、融資とお金の流れを保全することであった。

愚か者が失敗しないように配慮する経済は、愚か者や寄生虫をますます利するようになる。成功したビジネスマンとはもはや、健全な慣行に従い、クリスチャン的美徳を持つ人々ではなくなってしまった。むしろ、愚か者や悪党や寄生虫を財政支援するために、そのような人にますます重い罰が課せられているのである。負債があれば、利子や他の利益にかかる税金が帳消しにされるため、負債は会社や個人にとって財産である。借金に頼る生活は、一つの生活様式になり、さらに、実財を着実に没収するための手段となる。

今日ほとんどの大企業と労働者が社会主義的になっているのは、単に、彼らが、連邦政府の作り出したインフレと没収政策によって利益をあげているからにほかならない。ニュースレター第27号において、ゲイリー・ノースは「IBMは、年間で6億ドルの借り入れが必要だ」と指摘した。この点において、IBMはけっして特別ではない。これはどういう意味だろうか。連邦政府と、大企業と小企業、一般市民の誰もが借金漬けになっており、生活を借金に依存しているので、彼らはますます あぶく銭を求め、ますますインフレが進んでいる、ということである。彼らは、悪銭をつかって負債を帳消しにしようとする。あぶく銭――より正確に言えば贋銭――を得、インフレを高進するために、あらゆる圧力をかけるのである。…結果として、手に負えないインフレによる徹底した失敗がやってくるだろう。

「手に負えない」インフレによる大失敗を避けるために、「制御された」インフレが政策として実施されるだろう。これは、インフレが手に負えなくならないための発展的制御と「信用危機」を意味する。その試みは、最後に失敗することが運命付けられているにもかかわらず、なおも追求されるだろう。

とくに南北戦争前の自由銀行制度において、判断の間違いは個人・銀行・会社に影響を与えた。影響は本質的にローカルなものであり、全国的なものではなかった。国が管理する経済において、ミスはすべて全国規模の災厄にいたる。

自由銀行の下における信用は、利用できる金(gold)に依存していた。利用できる金がなくなれば、融資基準の甘過ぎる銀行の計画は頓挫した。預金者が銀行の投機的な方針を信用しなくなるからだ。連邦準備制度のような社会主義の銀行のもとで大甘の融資を続けるには、誰か他人の富を没収する必要がある。融資を行うには、利用できる富がなければならない。

福祉国家は、重税を課すこと・国債発行・その他の直接的または間接的な搾取の手段によって、この新しい融資を実現させるのである。愚か者やならず者、寄生虫を養うために、倹約家や生産的・保守的な個人の富が着実に搾取されている。ドン・ベルが(ニュースレター第26号において)指摘したように、連邦政府からの支払いまたは利益を受けている人の数は103,900,000人である。これは、合衆国の人口の半数以上である。この数字のうちで、約4千万人が月単位の支払いを受けており、残りは季節小切手を受け取っている。

ならず者になれば、利益が得られる。その結果は、福祉受益者や、あぶく銭を求める会社の急増と、あらゆる分野における悪党どもの人口爆発である。これらの人々は現在、数において残りの人々を凌駕する恐れがある。彼らは繁栄への唯一の道を知っている。つまり、倹約家や勤勉家から盗むということだ。アメリカのニューリッチが富を得た方法とは、勤勉・倹約・有能なオールドリッチからぼったくるということだった。

奴らは、すべてを没収し、とことん破壊するまでこれからも盗み続けるだろう。社会主義の最終結果とは、完全な貧困である。災厄を回避することは不可能である。

この状況において、敬虔な気持ちで願うべき災いとは、「愚か者だけではなく、これらのならず者と寄生虫の頭上にも下る神の御裁き」である。いったん破壊される以外に、現在の体制が本当に変わることはない。我々が必要としているのは、神の裁きによる崩壊である。(*)

万物を支配される神はたえず歴史に関与しておられる。神こそが、歴史を作り、歴史の過程を予定されたお方である。神は、我々の主イエス・キリストの受肉において、歴史に干渉する際に発せられるご自身のパワーと歴史への深い御関心を我々に啓示された。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9・6、7)

キリストは、没収する者から、その権力を没収されるだろう。経済法を含むすべての法律は、キリストの創造と任職の一部である。キリストの法に違反する者はみな敗北する。このストーリーは、宇宙の諸属性のうちにすでに書き込まれているのである。自然的にも超自然的にも、キリストの御支配は、悪を罰するために働く。

安易な融資に頼って生活する人々は、その安易な融資によって滅びるだろう。盗む者たちは、その全財産を誰かに奪われるだろう。「しかし、主を待ち望む者は、新たに力を受けるだろう。」(イザヤ40・31)

 我々は、危機的な時代に直面している。しかし、それに直面しているのは我々だけではない。これに関して誤解してはならない。問題は、宗教的なのである。社会主義者はみな金(gold)に反対する。というのも、彼らは神も自由も信じていないからだ。金と銀は、独立した富、自然の富、神が創造された富を表している。

紙幣は、国家が作った「富」であり、国家によって破壊されることがある。政府の命令によって、紙幣の価値が変わったり、ある紙幣が廃止されたり、別のものと置き換えられたりすることもよくある。レーニンがはっきりと述べたように、紙幣(つまり、不換紙幣)を完全管理せずに、社会を完全管理することは不可能である。

金(gold)の富は、独立した富、管理されていない富を象徴する。だから、社会主義は金本位制を廃止しようとするのである。――人間の唯一の「自由」とは、国家が認めた範囲内の自由でなければならない。――これは、「牢獄の部屋の中を自由に動き回ることができる」という囚人の自由に似ている。

最近、合衆国財務省の役人たちが、「金には、合衆国が与えた以外の実質的な価格など存在しない」と語った。彼らは、合衆国の金の価格を1オンス35ドルから6ドルに下げることによって、金の保有者を「破産」させようとした。このような行為は、米ドルの価値をゼロに落とすことを意味するから、かえって金の価格をそれだけ高騰させることになる。合衆国財務省の役人は金を信じていない。というのも、彼らは自由を信じていないからだ。このような人々は、自分は神よりも賢いと思っている。

彼らは、自由が機能するということを本気にしていない。彼らが自分で作り出し完全支配しているもの、つまり、紙でできた「金(gold)」以外は機能しないと信じているのは、ヒューマニズムに基づく支配のみが人類の希望だと考えているからである。

それゆえ、問題は宗教的なのである。人間の秩序か、それとも、神の秩序か? このような戦いの結果は明らかである。だから、我々は未来を確信している。この戦いは主の戦いなのである。


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訳注:ここで筆者が述べている破壊とは、あくまでも神が歴史の中で様々な方法で起こされる超自然的な審判的体制崩壊(例:ローマ帝国や大日本帝国、ソビエト連邦などの崩壊)であって、マルクス主義が主張するような人為的な革命やクーデターのようなものではない。聖書は、神が立てられた秩序、ヒエラルキー、命令系統を尊重せよ、と教えているので、革命やクーデターは違法である。

 

 

カルケドン・レポート第28号(1967年12月1日)の翻訳(R.J.Rushdoony, “Chalcedon Report No. 28; December 1, 1967, in “Roots of Reconstruction”, Valecito: Ross House Book, pp. 619-622)。

This translation was conducted by the permission of Chalcedon.