再臨は紀元1世紀に起きた


この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。
神のさばきは真実で、正しいからである。神は不品行によって地を汚した大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされたからである。」
彼らは再び言った。「ハレルヤ。彼女の煙は永遠に立ち上る。」
すると、二十四人の長老と四つの生き物はひれ伏し、御座についておられる神を拝んで、「アーメン。ハレルヤ」と言った。
また、御座から声が出て言った。「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」
また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った。
そこで、私は彼を拝もうとして、その足もとにひれ伏した。すると、彼は私に言った。「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟たちと同じしもべです。神を拝みなさい。イエスのあかしは預言の霊です。」
また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。
その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。
その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。
また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、
王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」
また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。
すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。(黙示録19・1-21)

I.

再臨は、紀元1世紀に起きた。

この箇所はそれを証明している。

1.キリストは、天におられる。

私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、

これは、昇天後のキリストである。

2.キリストは、王である。

その頭には多くの王冠があって、

昇天後のキリストは、神の右の座にいる天地万物の王である。

3.キリストは、さばきのために来られる。

義をもってさばきをし、戦いをされる。

再臨は「裁くために」実行される。

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24・2-3)

4.キリストは、天から地にやってこられる。

天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。

この箇所は、明らかに、キリストが天から地上にやってこられる様子を描写している。

5.キリストは、「獣と地上の王たちとその軍勢」と戦われる。

また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。

さて、ここで「獣」とは誰か。

紀元1世紀の小アジアの7つの教会のクリスチャンたちが、知っている人物である。

ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。(黙示録13・18)

彼らにとって不可知な2000年後の誰かではない。

その「数字を数え」ることができる人物である。

つまり、紀元1世紀の人物であるとわかる。

キリストが戦われるのは、紀元1世紀の人物であった。

ということは、再臨が紀元1世紀に起きたことがわかる。

II.

これは、他の聖書箇所と調和する。

まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」(マタイ16・28)

「ここに立っている人々の中には、・・・決して死を味わわない人々がいます」

つまり、イエスと同時代のうちに再臨は起きるということである。

イエスははっきりと「裁きはイエスと同時代のうちに来る」と言われた。

まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。(マタイ23・36)

さらに、再臨の前兆は「この時代」のうちに「全部」起きると言われた。

まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。(マタイ24・34)

前兆が全部起きるならば、再臨自体も「この時代」のうちに起きるはずである。

・・・というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。(マタイ10・23)

「人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせない」

イスラエルの町々を巡り尽くす前に「人の子が来る」。

つまり、イエスと同時代に再臨はある。

III.

イエスの再臨の際に何が起きるのだろうか。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。
「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。(1コリント15・20-28)

1.キリストに属している者が復活する

紀元1世紀にキリストが再臨された際に、キリストに属している者が復活した。

彼らはパラダイスに連れられ、現在、キリストとともにいる。

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・17)

それゆえ、われわれは、「今パラダイスにいるクリスチャンは復活体を持っている」と信じなければならない。

パラダイスには、この再臨時に復活したクリスチャンのほかに、それ以降の時代に昇天したクリスチャンがいるが、彼らには復活体は与えられるのだろうか。

私は「イエス」と考える。

なぜならば、霊の状態にいる人々は聖餐にあずかれないからである。

イエスは復活体であることを証明するために魚を食された。

「食べる」という行為は、体を持つことの証明である。

聖餐は「イエスの御体の共有」を意味する。

イエスにあってクリスチャンは互いに一つの体であると。

地上のクリスチャンと再臨時に復活したクリスチャンだけが聖餐にあずかることができて、再臨以降昇天したクリスチャンだけが、そこから除外される、というのは、明らかに非聖書的である。

2.終末が来る

それから終わりが来ます。

紀元1世紀に、終末はやってきた。

それは、「旧約世界の」終末である。

世界はイエスの再臨によって大団円を迎え、新天新地が始まった。

新約世界は、イエスが支配するまったく新しい世界である。

3.イエスは、あらゆる支配・権威・権力を滅ぼされた。

そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。

再臨において、キリストは、地上を真っ平らにされた。

「あらゆる」支配・権威・権力は、ぺったんこにされ、それ以降、キリストの前に立つ勢力はいない。

法的に、世界の権力構造は「キリスト一極」になっている。

闇の勢力がいかに強く見えても、彼らは「すでに滅ぼされている」。

紀元1世紀以降、キリストの前に敵はいないのである。

サタンにはこの地上を支配する法的権限が「まったく」ない。

4.死も滅ぼされた

最後の敵である死も滅ぼされます。

紀元1世紀以降、死すらも滅んでいる。

どういうことだろうか。

アダムが反逆して以来、死は人間を支配してきた。

人間は必ず死ぬ。

人間だけではなく、生きとし生けるものは死ぬ。

死は、万物を支配する最強の敵である。

しかし、紀元1世紀にキリストが死を滅ぼされたので、キリストにあって、われわれも被造物も「死ななくなった」。

われわれがこの肉体を離れると同時に、永遠の「御霊のからだ」が与えられる。

われわれが地上で蓄えた財産も「死なない」。

それは、天の宝として神が蓄えてくださっている。

その財産をわれわれは永遠に保有することができる。

5.万物をその足の下に従わせたキリストご自身も神に従われる

御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます

三位一神において、御子は御父に服従される。

世界の存在の究極の目的は「御父の栄光」である。

御子は、そのためにご自身の地上での使命を果たされた。

IV.

再臨を未来に設定すると、これらの重大な真理を悟れない。

「キリストが世界の全権を握られるのも、死が滅ぼされるのも、未来のことだ」と思ってしまう。

ディスペンセーション主義の影響により、われわれは、世界を誤解してきた。

この世界は、すでにキリストのものであり、敵は一掃されていることを理解しよう。

そして、悪霊に向かって「紀元1世紀以降、お前にはこの地上をコントロールする権限はない!イエスの御名によってお前を縛り、底知れぬところに落とす!」と祈ろう!

 

 

2021年6月7日



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