使徒たちはポスト・ミレを信じていた



彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。
それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。』と語ったのです。
神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』
ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」(使徒2:30-36)

使徒たちが、ポスト・ミレの信仰を持っていたことがここからわかる。

ここでは、

1.イエスは復活した
2.神の右に昇天した
3.敵が足台になるまで右の座についている

といわれている。

復活→昇天→勝利

これが歴史を貫く一連の流れであるという。

つまり、昇天したキリストは世界の王であり、サタンに勝利すると。

その過程が黙示録に記されている。

こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。 (黙示録12・9)
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛っ(た)(黙示録20・2)

紀元70年までにおいて、イエスは、サタンを地上に投げ落とし、さらに、千年の間縛られた。

「え〜これは、未来に起こる預言ではないでしょうか?」という人はよく考えてほしい。

黙示録12章で竜が地上に落ちる。そして、その後、13章で獣が登場する。

この獣についてヨハネは「紀元一世紀の人がわかる人物」と表現している。

また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。
ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。(黙示録13・17-18)

「思慮ある者はその獣の数字を数えなさい」という命令は、直接の読者である小アジアの7つの教会のクリスチャンに対して発せられた。

ということは、彼らが数えて察しがつく可能性のある人物である。

となると、黙示録13章は当時の人物に関する記述ということになり、その前の章の竜退治も、その後の竜の縛りも、紀元一世紀ころの話ということになる。

敵は足台になったのである。

紀元70年にイエスの審判があり、神殿が崩壊し、ユダヤ人に裁きがくだり、ローマに裁きがくだったときに、黙示録は成就した。

これで歴史的にも文脈がすっきりする。

つまり、この手紙は、紀元70年に向かう「イスラエルの終末」に向かって世界が反キリスト化していった。獣が現れ、偽預言者が現れ、そして、大淫婦が現れた。その背後に竜がいた。

彼らは世界統一をもくろみ、専制的な体制を作ろうとした。その中においてクリスチャンが迫害された。

この迫害下にあるクリスチャンに対して、イスラエルの終末までの道筋を示し、彼らを励ますためにヨハネは黙示録を記した。

黙示録19章までは、彼らの前に待ち受けているイスラエルを取り巻く世界の終末の様子であった。

黙示録20章は、その後にやってくる新しい世界である。

つまり、千年王国。

この期間にサタンは縛られており、異邦人に福音が伝わる。

底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。(黙示録20・3)

これですっきりするだろう。

これで、使徒たちがポスト・ミレを信じていたことと、黙示録の位置づけが理解できる。

 

 

2011年5月26日

 

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