世界の諸民族は現在法的に御国の民である


@ 黙示録21:4で「もはや死もなく」は、20章の最終審判で「死とハデスとは火の池に投げ込まれた」「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた」、したがって永遠のいのちを頂いたクリスチャンだけが残って新天新地の民となるので、生物学的死も霊的な死も、文字通り一切の「死」がない状態、という理解でよろしいのでしょうか。

「死」というものは、クリスチャンから取り除かれたのであって、敵は霊的・肉体的に死ぬのです。なぜならば、裁きは「第二の死」と呼ばれており、永遠の死と定義されているからです。

「それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録20・14、21・8)

死は火の池に投げ込まれていますが、火の池はそのまま残ります。そして、火の池は第二の死であると言われています。

A マタイ22:44「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい」

第一コリント15:24〜25「それから終わりが来ます・・・国を父なる神にお渡しになります。」キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。」

マタイ28:18〜20「わたしには・・・いっさいの権威が与えられています・・・見よ、わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

紀元70年の再臨でサタンがイエス様の足の下に置かれたとすると、その時点でイエス様は権威(支配)と国を父なる神にお渡し(お返し)になったのでしょうか?その後、今でも「父なる神の右に座し」ていらっしゃるのでしょうか?

マタイ28:20の「世の終わり」は、紀元70でしょうか、それとも黙示録21章以降のことでしょうか。

紀元70年に「 イエス様は権威(支配)と国を父なる神にお渡し(お返し)になった 」のです。

将軍が獲物を国王に納めるように、イエスは父なる神に全世界の権威と国を捧げたので、今それらは父なる神のものです。

そして、今でもイエスは神の右に座しておられます。

マタイ28:20の「世の終わり」は法的には紀元70年ですが、しかし、「イエスがともにおられる」ということが紀元70年に終わったということはできません。なぜならば、大宣教命令の目的は「すべての民族が弟子となる」ことにあるので、この活動はその後も続くはずだからです。キリストの御国は千年(つまり千年単位の長期間)続くのですから、実際的には黙示録最後の章以降の新天新地(つまり善と悪の完全分離)までイエスはわれわれとともにおられます。

紀元70年において法的に世界は父なる神のものになり、クリスチャンは死ななくなり、大宣教命令も法的には成就しました。イギリス人も、日本人も、中国人も、世界の諸民族は法的に「弟子化」されており、弟子化に逆らう力は彼らにはありません。

たとえて言えば、帰化人のようなものです。法的には日本人でも日本人のように日本語ができませんし、習慣や態度も日本人らしくない。法的にはイギリス人も日本人も 中国人も御国の民になっています。帰化人が法的には選挙権があるように、あらゆる民族はキリストの支配下に入って救いを受ける権利があります。選挙に行かなければ選挙権を行使し国政に参加したことにならないように、イエス・キリストを救い主として信じなければ、実際的な御国の民にはなりません。

紀元70年以降、あらゆる民族は、御国の民になっていますが、実際に神の法にしたがい、神の国を民族単位で求め、国家の体制や経済の方法、芸術のありかたなど、聖書的にならない限り、「実際的な弟子」になったとは言えません。それと同時に、聖書的ではない運動や陰謀などは、ことごとく破滅します。なぜならばすでに法的に御国の民になっているからです。法的にキリストの全的な権威のもとに属しているので、服従する以外に道はありません。

 

 

2019年8月28日



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