七年間の患難時代は紀元1世紀に終わっている3


この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。
神のさばきは真実で、正しいからである。神は不品行によって地を汚した大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされたからである。」
彼らは再び言った。「ハレルヤ。彼女の煙は永遠に立ち上る。」
すると、二十四人の長老と四つの生き物はひれ伏し、御座についておられる神を拝んで、「アーメン。ハレルヤ」と言った。
また、御座から声が出て言った。「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」
また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った。
そこで、私は彼を拝もうとして、その足もとにひれ伏した。すると、彼は私に言った。「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟たちと同じしもべです。神を拝みなさい。イエスのあかしは預言の霊です。」
また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。
その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。
その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。
また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、
王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」
また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。
すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。(黙示録19・1-21)

これは「再臨のメシアによる審判」である。

「神のことば」であるイエス・キリストが、「獣と地上の王たちとその軍勢」と戦われる。

結果は「獣は捕らえられ」「にせ預言者も彼といっしょに捕らえられ」「火の池に、生きたままで投げ込まれた」。

「残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。」

これは、紀元1世紀に起きた。

なぜならば、「獣」は、黙示録の直接の読者である小アジアの7つの教会が理解できる人物だったから。

ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。(黙示録13・18)

「聖書は、直接の読者が読んで理解できない箇所はない」というのは、聖書解釈の大原則である。

黙示録は手紙である。

われわれが手紙を出すときに、読者である相手が理解できないような二千年後の人物について書いておきながら「彼の数字を数えなさい」とは言わない。

獣は、黙示録の読者の同時代人であり、有名な人であると推測できる。

となれば、「獣は捕らえられ」という出来事も、紀元1世紀に起きたということになる。

それゆえ、黙示録は19章までは、紀元1世紀に起きたと考えるべきである。

イエス・キリストの紀元70年の再臨は、旧約世界を裁くためであった。

キリストは、あのダニエル書の「ネブカデネザルが見た像」を粉砕するために来られた。

そして、実際、彼は、紀元70年以降、世界の王となり、あらゆる主権を手に入れ、諸国の民を「鉄の杖をもって牧される」ようになられた。

紀元70年から世界は「イエス・キリストの御国」となった。

旧約世界において、神に敵対した敵は一掃された。

では、新約世界においてなぜ敵がいるのだろうか。

「現実を見たら、旧約世界と新約世界に変化はないように見える。同じローマ帝国が支配しているではないか。」という人もいるかもしれない。

像が象徴するバビロン、メド・ペルシャ、ギリシア、ローマという世界帝国は、イエス・キリストの御国という「石」によって粉砕されたのである。

そしてその「石」は全土に満ちたとある。

すなわち、紀元1世紀以降、イエス・キリストの御国は無敵の状態になり、世界中に拡大するということを示している。

紀元70年以降、ローマ帝国は、まったく変わってしまった。

なぜならば、「所有権が正式にイエス・キリストに委譲されたから」。

どこかのビルの所有権が移ったら、テナントは、その新しいオーナーの命令に従わなければならない。

イエス・キリストは、紀元70年に、正式に、世界の法的主権者となられた。

それゆえ、いかにローマ皇帝が反逆しようと、いかに偽預言者がウソを広めようと、関係ない。

時間とともに、ローマ帝国はキリストの支配下に「実際的にも」入るようになる。

その後、世界には様々な国家が誕生したが、すべてキリストの支配の下にある。

キリストに逆らう王国は潰されてきた。

神は、キリスト教を受け入れた欧米に「統治のための知識と力」を与えてこられた。

欧米において近代科学が発達したのは、キリストの主権を認める人々が世界を支配できるように神が彼らに知識を与えられたからである。

資本主義を通じて、欧米の諸国に富の蓄積が行われたのも、神の国の発展である。

もちろん、近代における欧米のアジア・アフリカの植民地がタルムードユダヤ人の主導で行われたため、奴隷化が進んだが、しかし、基本として、富の蓄積はキリストの主権を認める人に許可される。

誤解してはならないのは、フランス革命や共産主義革命などをキリスト教のそれと考えてはならない。

これらの革命は、キリスト教の原理ではなく、フリーメイソンのそれに基づいて行われた。

フリーメイソンは、ルシフェリアンであり、反キリストである。

日本の保守の人々は、この区別がついていないので、キリスト教を日本の敵とみなす傾向がある。

キリスト教を敵視する人は、全能者と敵対することになり、自らを「悪魔化」することになるから、非常に危険である。

御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。(詩篇2・12)

 

 

2021年5月26日



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