黙示録の構造


黙示録は、預言書であり、預言書として解釈しなければならない。千年王国の千年を文字通りの1000年と解釈しなければならないと説く人々がいるがそれならば、「太陽を着て月を踏みつける女」も文字通り起こると考えなければならないということになる。

旧約聖書の表現が象徴的であるように、預言書を解釈する方法に基づかねばならない。

聖書全体が契約の書であり、神と選民であるクリスチャンの契約を扱った書物であるように、黙示録も契約の書である。

図のとおり黙示録は、5条件の契約の構造に基づいて解釈すべきだ。

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1.超越(と内在)

1〜3章において、超越的存在として描かれたキリストが登場する。


神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

キリストは、万物の支配者、主権者である。

2.ヒエラルキー

4章において、天と地上を支配するキリストの副官としての教会が示されている。

たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。
また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。
御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。
御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。
この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」
また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録4・4-11)

「白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老」とは、イスラエル12部族を代表する指導者たち。

2人ずついるのは、イエスの御業と主権を証言するから。

律法で、事実は2人または3人の証言で確認されるとある。

このイスラエルは、新約時代において「超民族的イスラエル=教会」を意味すると考えるべきである。

なぜならば、イエスが「御国をイスラエルから取り上げて、実を結ぶ人々に与える」と言われたから。(マタイ21・40-41)

つまり、この24人の長老は、全世界のあらゆる民族のクリスチャンの代表と考えるべきである。

キリストを頂点とした支配構造がここで示されている。

キリストの下に、「キリストの御業の証人」であるクリスチャンが世界を統治する。

3.神の法

5〜8章では、主にこれから起こる「獣に乗った大淫婦」への裁きの準備が記されている。

すべての法律と同じように、神の法は、人にとって「審判の前提・理由」である。

数多くの預言者を遣わして悔い改めを促し、最後に御子までも送ったが、彼を殺してしまったイスラエル。

イスラエルにとって、神の法は、裁きへの準備である。

4.賞罰

裁きは、前半の3年半と後半の3年半に分かれる。

8〜11章において、前半が。

12〜14章において、後半が記されている。

これは、三日目の清めと七日目の清めと対応している。

どのような人の死体にでも触れる者は、七日間、汚れる。その者は、三日目と七日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない。三日目と七日目に罪の身をきよめないなら、きよくなることはできない。(民数記19・11-12)

清めは、2段階で実行される。

刑罰は清めである。

神の前に犯した罪を処理する方法は、悔い改めるか、裁かれるか、いずれしかない。

イスラエルの中で使徒と彼らに従うクリスチャンたちは悔い改めという方法を採用し、クリスチャンにならなかった人々は、裁かれる方法を採用した。

5.相続

15章から19章では、獣を利用してクリスチャンを迫害した大淫婦が、その獣によって滅ぼされる。

これは紀元70年、イスラエル滅亡によって成就した。

イスラエルは相続不可の烙印を押された。

これ以降、ユダヤ人は、もはや契約の民ではなく、それゆえ相続の恵みにあずかれない。

それに代わって契約の民となったのは、教会である。

20章からは、イエス・キリストの教会による世界支配が記されている。

教会と言っても、われわれが目にする建物の教会ではなく、クリスチャンの集合体である。

クリスチャンと言っても、聖書を前提・最高権威としないいわゆるクリスチャンではない。

聖書啓示を絶対とし、イエス・キリストを絶対主として礼拝する聖書的クリスチャンである。

紀元70年以降、世界は「キリストを王とする神の国」になった。

われわれ聖書的クリスチャンも支配者であり、イエス・キリストとともに世界を支配している。

 

 

2014年11月7日



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