「天は燃えてくずれる」の意味


まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、
当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(2ペテロ3・3-13)

われわれは、この箇所を「最後の終末」に関する記述であると教えられてきた。

「天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます」

これは、最後の審判の後の、永遠の世界に関する記述と考えてきた。

しかし、この箇所は、次の言葉によって紀元1世紀の出来事であるとわかる。

まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」

ここで「キリストの来臨」は、再臨である。

なぜならば、この手紙が書かれたときには、イエスはすでに昇天されていたからである。

この傲慢な人は紀元70年前に生きており、「再臨の約束はどうしたのだ。昔から何も変わらないではないか」とクリスチャンを揶揄していた。

しかし、イエスは約束のとおりに紀元70年ころに来られた。

そして、イスラエルを裁かれた。

イエスはローマ軍を使ってイスラエルを滅ぼされた。

神殿は破壊され、人々はパレスチナの土地から追い出された。

ペテロはこの箇所において、次のように言った。

「キリストの再臨の約束はどうした。創造からこのかた、何も変わらないではないか」という人がいるが、やがてイエスは戻ってこられる。そして、裁きを実行されるので、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされる。天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。

これで、読者は「天が燃えてくずれ、天の万象は焼け溶ける」という表現を文字通りとらえてはならないとわかるだろう。

紀元70年にそのようなことは起きなかった。

これは、世界の支配体制の変化の表現なのである。

旧約世界の権力が、イエスによって完全に滅ぼされる、ということを、天が燃えて崩れ、天の万象が焼け溶けると表現したのである。

世界は、それまでの世界ではなく、天地はまったく一新されたと。

新約世界は、イエスを王とするまったく新しい世界であり、サタンには支配権は一切与えられていない。

神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ2・15)

 

 

2021年6月10日



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