北朝人脈は南朝天皇から皇位簒奪するためにイルミナティを利用したのか


皇位簒奪を狙った足利義満が南北朝の統一を実現した。


1392年(元中9年/明徳3年)には南朝勢力が全国的に衰微したため義満は大内義弘を仲介に南朝方と交渉を進め、持明院統と大覚寺統が交互に即位する事(両統迭立)や諸国の国衙領を全て大覚寺統の所有とする事(実際には国衙領はわずかしかなかった)などの和平案を南朝の後亀山天皇に提示し、後亀山が保持していた三種の神器を北朝の後小松天皇に接収させて南朝が解消される形での南北朝合一を実現し58年にわたる朝廷の分裂を終結させる(明徳の和約)。(Wikipedia――足利義満)

これ以降、北朝側が天皇になったわけだが、自ら天皇になりたがる義満の権力のもとでなった天皇が正統とは呼べないのは明らかだ。

クーデターをたくらんだ人間の息のかかった王がその傀儡であった可能性は高い。

北畠親房によると、北朝には天皇の血が流れていないという。

つまり、北朝天皇家のもとで日本は、1392年から1867年まで偽天皇が支配し、約500年間クーデター政権が続いたということ。

幕末の志士たちは、血がつながっている正統な天皇の擁立を図り、明治天皇が誕生した。

日本は本来の姿に戻った。

大東亜戦争で日本を敗戦に導いた共産主義者近衛文麿と伏見宮は、北朝人脈である。

近衛は側近でコミンテルンの手先尾崎秀実とぐるになって大陸進出を計画し、実行した。

伏見宮は、対米英開戦を主導した張本人である。

さらに旧大日本帝国海軍最高の実力者で、絶大な権勢を誇っていた伏見宮博恭王元帥が【統帥権干犯】主張に同調して、1932年、軍令部長に就任して海軍の人事権を一手に掌握するや、対米英不戦を主張する条約派海軍将官の徹底的追放を行った。

その後、艦隊派といわれた国際情勢音痴の最高指導者たちが支配した旧大日本帝国海軍は、太平洋における覇権の確立を目的に、米国を仮想敵国として戦争準備に狂奔し、ついには対米開戦を決意して日本を破滅させた。

1930年、艦隊派の海軍軍令部が唱えだした【統帥権干犯】主張という【邪剣】が【立憲君主制法治国家・日本】を刺し殺し、ついには日本を破滅させたのである。

旧大日本帝国海軍の最高の実力者といわれ、人事を壟断し、対米英開戦を主導した伏見宮博恭王元帥の指導者責任はきびしく非難されなければならない。
http://www.page.sannet.ne.jp/mhvmhv/ShowaWar.html

伏見宮は昭和天皇に対して不遜な態度で接する人間として知られている。

北朝による南朝への敵意が見える。

日本を破滅に導いた主役近衛はソ連を、伏見宮はアメリカを利用して、南朝天皇を廃位させ、北朝を復活させようとしたのではないか。

これは、あくまでも私の印象に過ぎない。

 

 

2014年11月10日



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