天国も地獄もない?
死後に「天国も地獄もない」という人がいる。
法律や規則があるところに、必ず刑罰がある。
罰がなければ、それは法律でも規則でもない。
たとえば、道路を自由に走れるのは、交通法規があるおかげである。
交通法規がなければ、事故が頻発する。
交通法規があっても、警察官がおらず、罰がなければ、それは有名無実のざる法になる。
40キロ制限のところを70キロで走って取り締まられなければ、その法規は存在しないのも同然である。
この世界に道徳律があることは誰もが認めるだろう。
悪行の限りを尽くした人間が畳の上で死ねない、つまり変死することが多いのは誰もが認めるところである。
神を呪ったり、人を殺したり、親を呪ったり、暴力を振るったり、弱い者いじめをしたり、賄賂をとったり、他人のものを盗んだり、奪い取ったり、だまし取るような人間がそれ相応の報いを受けるのをわれわれは体験的に知っている。
どんなにやりたい放題やりたいと思っても、良心がそれを許さない。
つまり、世界には道徳律があり、人間の心にも道徳律が生来備わっている。
道徳律があるということは、当然、罰もある。
だから、自分がその道徳律を破ったら、その罰もある。
地獄は存在する。
罪とは、他人の庭に穴を掘るようなものである。罰とは、それを埋めることである。
1メートルの深さの穴を掘ったら、1メートル分自分が埋めなければならない。
それ以下ではだめである。50センチだけ埋めて作業を終えてもだめである。
なぜならば、残りを誰かが埋めないと庭が凸凹になり使い物にならない。
まっ平にして、原状復帰してはじめて責任を果たしたことになる。
もしイエス・キリストを信じないままに死ぬのは、生前犯した様々な罪の穴埋めをせず、他人の庭に多数の穴をあけたままトンズラするのと同じである。
責任を残した状態で人生を終えることになる。
だから、死後にその責任を取るはめになるのだ。
イエス・キリストを信じるならば、イエスが身代わりに穴埋めをしてくれる。
イエスは神なので、その穴埋めは完全・完璧である。
だから、われわれには穴を埋める責任がない。
イエス・キリストを信じるならば、死後に刑罰を受けることはない。
しかし、信じないならば、自分で穴埋めをすることになる。
その穴埋めは永遠に続く。
なぜならば、神に対する罪には限度がないからだ。
神は絶対を要求されるので、神に対する罪は絶対的な罪である。
神に対しては、1メートルの穴に相当する罪などない。すべての罪が1億キロメートルの穴である。
誰もそんな穴埋めをできない。
この罪の責任を完璧に取れるのはイエス・キリスト以外にはない。
だから、イエス・キリストによる身代わりの死を信じない人は、死後、毎日この1億キロメートルの穴を埋める作業を強制される。
すなわち、永遠に刑罰から解放されない。
イエス・キリストを救い主と信じて、自分の罪責を身代わりに負ってくださったと信じるならば、そのとおりになる。
完全に罪責から解放される。
2015年12月12日
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