ポジティブ命令によって根拠なく人を罪人扱いするならば神の裁きが下る


そのころ、パリサイ人や律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て、言った。
「あなたのお弟子たちは、なぜ長老たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか。」
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。
神は『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言われたのです。
それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、
その物をもって父や母を尊んではならない』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。
偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。(マタイ15・1-7)

1.

命令には、ポジティブとネガティブの2種類がある。

ポジティブな命令とは「○○しなさい」というもの。

ネガティブな命令とは「○○してはいけない」というもの。

神がアダムに与えた命令は「善悪の知識の木から取って食べてはならない」というネガティブな命令であった。

十戒も「〜してはならない」というネガティブな命令である。

なぜネガティブかというと「神の御目的は人間に自由を与えること」だからである。

交通規則は、利用者を束縛するためではなく、かえって自由を与えるためにある。

歩行者用信号について、「赤が点滅していたら進んではならない」という規則は「それ以外自由」という意味である。

「青で進んでもいいし、立ち止まったままでも、別の場所に向かうでもいい」ということである。

日本の他の法律も基本的にネガティブである。

実際に商品を会計を通さずに店外に持ち出さなければ、ポケットに入れても逮捕されない。(迷惑行為ではあるが。)

聖書の命令がネガティブなのは、「明確に罪と規定されていないことは、やっても自由である」と神が考えておられるからである。

聖書の命令をポジティブと誤解すると、「疑いがある」を「罪を犯した」と混同しがちである。

聖書解釈が厳格であれば、このような誤解は生まれない。

2.

自衛隊以外の世界の軍隊は、ネガティブリストと呼ばれている「一部の禁止を除いて他は自由」という原則に基づいて行動する。

自衛隊は、ポジティブリストに基づいているので、やっていいことが決められ、それ以外は禁止されているので、実戦に役立たない。

戦争になったら、違法行為を行うしかなくなり、国防のために違法行為を積み重ねるうちに、遵法精神が失われ、かえって暴走する恐れがある。

ポジティブリストの原則は、全体主義を作る。

たとえば、共産主義国では、反革命というレッテルを貼られると、生きていけない。

革命に積極的に参加しないと見なされたら職場でも家庭でもつまはじきにされる。

3.

ポジティブな命令によって根拠なく人を罪人扱いするならば、神の裁きが下ることを覚悟されたし。

 

 

2018年9月27日



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