天地の王として永遠に生き続ける生活


「もう60代だ。人生は終わりに近づいた」「あとは、お墓に入るだけだ」

ノンクリスチャンの老人は今の生涯でオシマイと考えているが、クリスチャンの老人にとっては「人生の始まり」に過ぎない。

60代から本物の人生が始まる。

あと何年、何十年かで「朽ちぬ御霊のからだ」に切り替わる。

「朽ちぬ御霊のからだ」が与えられ、昇天したら、人生は60兆年たっても終わらない。

クリスチャンは昇天するのであって、墓の中に下るのではない。

クリスチャンにとって墓は不要。記念碑ならばいいが、墓を作る人は不信仰である。

今の血肉のからだは不要になり、御霊のからだに切り替わって、天に携挙される。

クリスチャンは、天に上る。天に上るとは、文字通り「世界の王座に着く」ことを意味する。

今、キリストが世界の王座に着いておられる。キリストと一つであるエクレシアの一員であるわれわれも、キリストとともに世界の王座に着く。

「天は、霊的世界であるから、実体のない場所だ」と考えてはならない。

キリストは、弟子たちから魚を受け取られ、それを食された。


わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
{イエスはこう言われて、その手と足を彼らにお示しになった。}
それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。(ルカ24・39-43)

御霊のからだには、「肉や骨」があり、それは「焼いた魚」を「召し上が」ることが可能である。

イエス・キリストは、現在、肉や骨があって食物を食べる体で、天におられる。

だから、天とは具体的かつ物質的で、実体のある場所なのである。

この血肉のからだを脱ぎ捨てるときに、イエスと同じ御霊のからだを与えられて、われわれもそこに行く。

なぜならばイエス・キリストは「初穂」だからである。

もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(1コリント15・13,20)

キリストが復活されたのであれば、クリスチャンも復活するのである。

だから、すでに昇天したクリスチャンたちも、今、骨と肉を持っており、食べ物を食べていることがわかる。

彼らの人生はまだ始まったばかりである。

これから先、永遠にこの生活が続く。

老人のクリスチャンは、徐々に、天地の王として永遠に生き続ける生活に近づいている。

 

 

2019年8月9日



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