キリスト教を健全に維持するにはヴァン・ティルの弁証論に立つしかない4



多くの保守的な改革派の人々よりも、認識論に直接的にかかわることによって、ヴァン・ティルは、現代思想の「関心の対象が主に認識論に向けられている」という事実に気付いた。このことから、ヴァン・ティルは、クリスチャンにとって、認識論が非キリスト教思想とどのように異なるのかについて細心の注意を払いつつ説明する必要があるだろうと考えた。これは、カント思想の妥当な側面に注意を向けるきっかけとなった。カイパーの対立概念を拡充するにはカント思想を扱う必要があると判断したのだ。ヴァン・ティルは、オランダ改革カルヴァン主義の対立概念を採用かつ発展させることによって、聖書の権威ある規則を知識の先験的な基礎として受け入れないすべての思考体系に宣戦布告した。 20世紀初頭の、ファンダメンタリズム対モダニズムの論争の文脈において、ヴァン・ティルは、その思想のゆえにファンダメンタリストの陣営でもっとも急進的な思想家の一人になった。彼は「伝統的なコモンセンス経験主義は、神との関係において人間の知性の自律を前提としている」と主張した。この前提は、カルヴァン主義者が唱えてきた、思考を含む人間のあらゆる側面に対する神の絶対主権への強調を破壊した。この点を踏まえ、ヴァン・ティルは「人間が神から独立して思考することは一切できない」と主張した。(同上)

どんなに優秀な人材がそろっていても、聖書を前提としない組織は、必ずカルト化する。

財務省は東大法学部卒のエリートの集団であるが、省益にこだわるあまり、頓珍漢な財政政策を推進している。政治家は国民によって選ばれているが、彼らは選ばれていない。彼らが政治家を動かし、自分たちの利益を追求することは許されない。

彼らは次第に国民の意思から遊離し、オウム真理教のような団体になっている。このデフレ環境下において、増税が必要だという。「国には1千兆円の借金がある。財政健全化のためには増税が必要だ」と宣伝している。

組織が、その自らの存在意義を見失って、自分の維持と発展を究極の目的として暴走すると、それは、もはや処分される以外にはない。こういう組織は、誰の意見にも耳を傾けない。自分が乱行に及んでいることにも気づかない。

人間は、自律してはいけないのである。どの人間でも、どの団体でも、どの集団でも、自存自律してはならない。つねに人間は、神のしもべである。被造物として存在を許されている以上、創造者の意思と離れて行動することはできない。行動しはじめると、神から警告が来る。何度かの警告の後に、処刑人がやってくる。

ただ逆らうことだけを求める悪人には、残忍な使者が送られる。 (箴言17・11)

われわれが生きているのは、恩恵による。神の恵みがあるから「のみ」生きていられる。

恵みが抑制されれば、ただちにサタンはわれわれに好き勝手をやりはじめる。

謙遜になって、たえず悔い改めをし、へりくだっている限り、恐ろしい使者は送られない。

しかし、ただ自分の利益だけに執着して、逆らい続けるならば、神がサタンの手綱を緩めるので、彼はわれわれを思いのままに襲い始める。

「神はいない。真理は、科学的な探求によって得られる」と主張したソ連はどうなったか。

70年で滅亡した。

「聖書を前提とする?真理は科学的成果よりも聖書を優先するだと?ポスト・ミレ?笑わせるな」といった牧師の教会は崩壊した。

「六日創造説?とんでもない!」といった牧師は、その後すぐに亡くなった。

神の御言葉に対する傲慢は、その人の名前を「命の書」から消し去る効果がある。

進化論を信じたままで天国など行けるはずがないのである。

 

 

2017年8月16日



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