建設的でない思想はすべて間違いである


無駄なことを考えることは、究極的な罪の一つである。

エバは無駄なことを考えた。

「神の命令は『食べるな』ということだ。でも、それは間違いではないだろうか。」と。

神の言葉以上の言葉は存在しない。

神の言葉以上の真理は存在しない。

最高真理以上の真理をつかもうとすることは、究極的な失敗である。

人生における最大の間違いとは、神を超えたと宣言すること。

神を超えることが自己矛盾していることに気づかないほどに頭がおかしくなっている。

神はわれわれを超越しているのだ。時間も空間も創造された。

その神を超越することなどどうやってできるのか。

超越者の超越者になること。

スーパーマンのスーパーマンになること。

これを宣言するなど傲慢の限りである。

神の言葉を疑う人は、際限のない疑いのループに入って、人生そのものがまったくの無益と化する。

神の言葉が間違いならば、普遍的道徳だって存在しないことになる。

隠れていれば何をしてもいい。

金儲けになるならば、国を売ってもいい。

そうならば、人生、ゴミ屋敷だ。

無駄な金目のものがうずたかく家の中にある。しかし、国を売って、日本人を不幸にして得たお金だから、腐っている。

そんな腐ったものを喜びに覚えるという感覚が異常だろう。

だから、そういう金銭の奴隷は付き合う人間もろくでもない。

変な奴らが集まってくる。そして、一緒になって地獄に落ちるのだ。

神の言葉以上の言葉は存在しないのだから、「人間は何のために生きるのか」ということで悩みは無用である。

人間は神の国を建設し、世界を幸せにし、豊かに繁栄させ、神を中心とした理想の国を作るために創造された。

これで、ジ・エンドである。

これ以上考える必要はない。

「本当にそうかなあ」と疑い始めたら、際限のないループに入り込む。

たとえば、この直線上をずっと進むとどこに行くのだろう。と疑ってみる。

宇宙の果てに行くのか。でも、その果ての向こうはどうなっているのか。その果てを超えて、ずっといくとまた果てがあるのか。その果てを超えるとでは何があるのか。。。

きりがない。

こういうことに悩むのは時間の無駄である。

精神を不安定にして悩むということそのものが時間の無駄。

精神が不安定になるような考えはもっていても無駄。

だから、そんな無駄な思想を神が与えるはずがない。

だから、間違っている。

それゆえ、捨てる。

プラグマティックに考えても、自分の精神を不安定にするような思想はまったく役に立たないので捨てるべき。

建設的でない思想はすべて間違いである。

 

 

2011年3月18日

 

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