カントが作った人間教とは


以下のグレッグ・バーンセンの文章は、哲学を理解する上で極めて重要である。

サタンがカントを通じて、どのようにして人間を神に祭り上げたのかがわかる。

どの学校でも、この文章を読解できるように訓練すべきである。


イマヌエル・カント(1724年-1804年)は、プロイセンの町ケーニヒスベルクを一度も離れることがなく、そこで生まれ、後にそこで大学教授となったが、カントの思想は哲学に革命をもたらした。

カントは、精神は認識において受動的ではなく、その対象物の形や構成の決定(forming or constituting its objects)において能動的であると考え、その導入を「コペルニクス的革命」とみなした。

カントは、自らの「批判」哲学(別名「超越的観念論」)は、(合理主義と経験主義の要素を統合することによって)「科学を救い」、(人間の自由と倫理を考慮することによって)「信仰に余地を与える」ことが可能であると考えていた。

カントは、「(生来の知識を伴わない)感覚経験を取り入れることなしにいかなる知識も得られない」という経験主義者の意見に同意したが、「精神は、タブララサ(白紙)ではなく、時間と空間の知覚可能な形式、および量、質、関係(因果関係を含む)、様式の思惟形式を知覚に課す」という合理主義者の意見にも同意した。

カントは「知覚なき思惟は空虚である」(Concepts without percepts are empty)と言い、「思惟なき知覚は盲目である」(Percepts without concepts are blind)と述べた。

これらの心的な押しつけ(mental impositions)は「超越的に」必要である。つまり、心的な押しつけは、経験を理解する上で常に前提となる。

したがって、「悟性(understanding)はそれ自体が自然の立法者なのである」。

すなわち、人間の積極的な精神は、合理的かつ科学的な知識にとって必要な秩序と規則性を提供する。

もちろん、このような合理的かつ科学的な知識とは、われわれに「現れる」事象(フェノメナ)に関する知識に限定されるのであり、現実「それ自体」(ヌーメナ)に関する知識ではない。

カントは(すべての合理的な知識を現象に関する知識とすることによって)「科学を救った」。

まさにそれと同じ方法で、カントは精神の活動を超越する領域―すなわち、人間の自由と道徳的義務の非知覚的かつ非合理的な経験―に十分な余地を残した。

カントは、人格(自由)と科学(決定論)の間に解消不能な区別(dichotomy)を置くことによって、それらを同時に「救済した」と言われている。

しかし、それらは互いに矛盾しており、一方を他方の原理によって解釈することは不可能であるため、カントの解決策の代償は、一貫性のない世界観と認識論的失敗であった(すなわち、カントにおいて、認識論は、単なる「科学」の心理学的分析になった)。
(Greg Bahnsen, Van Til, P&R, p.344-)

1.

簡単に言えばこういうことである。

人間は、コンピュータと違って、与えられた情報をそのままの形で受け取り、記憶することはできない。

まれに、フォトグラフィック・メモリを持つ天才がいる。

東京03というお笑いのトリオの飯塚氏がその持ち主である。

台本を一度見ただけで、写真として記憶し、それを頭の中で読むことができるという。

ルターもその才能があったと言う。

しかし、凡人の場合、情報をそのまま記憶することはできない。

必ず「解釈」が入る。

自分なりの解釈を入れつつ記憶する。

そのため、同じ情報を見たり聞いたりしても、記憶の内容が個人個人違うことがよくある。

人間には、空間や時間などの枠組みを情報に押しつける機能が先天的(超越的に)に備わっており、この枠組みを押しつけることによって、はじめて理解(悟性)が可能になり、その理解に基づいて記憶が行われる。

カントは、この機能のゆえに、「世界の構成者は神ではなく、人間だ」と結論した。

神がどのように世界を創造したかはわからないと。

どのような目的を持ち、どのような意味を持たせて世界を創造したかは、科学の対象外であると。

結局、世界は、人間にとって意味があるかどうかが重要であると。

神にとって重要かどうかを聖書に基づいて判断することはできない。

なぜならば、それは、科学的に証明できないからである。

クリスチャンが「殺人は悪である」と聖書から結論したとしても、聖書を信じないノンクリスチャンには通用しない。

個人個人の主観によって評価が変わるような基準(聖書)を、万人にとっての普遍的な思想の土台にはできない。

客観的に世界を評価し、理解することができないのであれば、「人間が構成者になるしかないではないか」と。

2.

カント以降、芸術は「神が創造された世界を描く」のではなく、「構成者である自分がどう感じたかを描く」ものに変わった。

芸術家は神になった。

「溶けて曲がった時計」を描いたダリにとって「時計とはそのようなもの」なのである。

ソ連は、カントの申し子である。

「神が定義した人間や社会には意味がない。われわれ人間がどうそれらを評価するかが問題だ」という思想のもとに政治が行われた。

この政治によって、ソ連の人々は自由を獲得するどころか、国家の奴隷になった。

聖書が基準であった時代に、神の法は国家と国民の両方の自由を制限することによって調和をもたらしたが、共産主義国家においては、「むきだしの力」を持つ強者が、弱い者を強制するようになった。

3.

カントにおいて、超自然的基準は切り捨てられた。

カントにおいて、基準は自然の中に存在する。

人間は基準を作ることができる。

人間は、神になった。

善悪の知識の木の実を食べ、「善悪を知る(つまり、決定する)者」となった。

道徳は、社会の通念によって決定され、法律もそれに基づいて作られる。

神の出る幕はない。

こうして、サタンは、世界から神を追い出すことに成功した。

しかし、神は主権者としての地位を奪おうとする者に敵対し、呪われる。

カントは人間教という新しい宗教を生み出した。

人間は、知らずにその宗教の信者になっている。

4.

人間教は、キリスト教にも深く浸透している。

神は、自分の幸福のために利用する道具となった。

しかし、聖書は「神は人間を利用される」と教えている。

今日の「クリスチャン」が予定論を嫌うのは、人間教の信者になっているからである。

 

 

2019年12月8日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net