もともと日本の宗教は物部氏の聖書的キリスト教だった


1.

https://www.youtube.com/watch?v=1U8IjyDRISU

世界の工場となり、欧米への輸出で儲けていた中国が、リーマンにつぐ欧米の景気後退で買い手を失いつつも、なおも今まで生き延びてこられたのは、もっぱら紙幣を増刷し、景気を人為的に維持してきたから。

中国の成長とは、バブル経済の拡大にほかならない。

バブルの破裂が不可避である以上、中国の没落も不可避。

これ以上、景気を維持できなくなったので、これからは民衆の不満を抑えるために、軍事的冒険に出る恐れがある。

だいたい、自国にブランドがまったくなく、単なる下請け工場の集まりでしかない国が、世界の経済大国などなれるわけがない。

日欧米が経済大国であるのは、独自ブランドがあるから。

産業を育て、所得をあげて、内需の支えがあるからこそ高い経済を維持できた。

他国に投資してもらって、しかも自国産業も育っていなかったら、賃金上昇したときに、中国で製造する意味がなくなる。

外資が引き上げたら、あとに何も残らないような国が何を一丁前に威張っているのか。

結局、中国が本当の意味において強くなるためには、国民に自由を与えて、民間企業の自由な活動を保証する必要がある。

しかし、中国を支えているのは、国営企業。

創意工夫が生まれるわけがない。

共産主義の体制で長期的に経済発展できるわけがないのだ。

それを伊藤忠会長の丹羽宇一郎が「日本は中国の属国になれ」と。

愚か者としかいいようがない。

2.


足利義満が皇位簒奪を企んでから北朝偽天皇が続いた。

後醍醐天皇の末裔大室寅之祐が立つまで、忌部氏は大嘗祭に使う鹿服を天皇家に絶対に納めなかった。

(『超日本史どんでん返し』ヒカルランド)

天皇即位後の初めての新嘗祭である、大嘗祭において、天皇は、聖水沐浴、神人共食、御衾(おぶすま、寝所)秘儀を行う。折口信夫博士を始めとする国学の大家たちによると、次のような意味があるという(http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-30.htm)。

すなわち、

(1)聖水沐浴
天皇は、「天羽衣」と称される湯帷子(ゆかたびら)を着て湯殿に入り、湯槽の中でそれを脱ぎ捨てられる。そしてそこを出て、新たな天羽衣に着替えられ、神饌が用意された寝所に進まれる。なぜ「天羽衣」というかと言えば、聖水による沐浴とは、単なる禊ぎではなく、産湯であり、これは、新生を意味しているからである。

(2)神人共食
新生した天皇は神(天照大神)に神饌を供えられ、ともに与れる。神道において、食は生のエネルギーであり、新たな魂である。すなわち、このとき天皇は天照大神と同じ霊力を身体に入れられる。

(3)御衾秘儀
一説に神人共寝だと言われ、また、紀記の天孫降臨の際にニニギ神が身にまとわれた御衾と同意だと言う。御衾に包まれたニニギ神の、産着に包まれた赤ん坊のような姿とは、実は穂に包まれた稲の姿であり、稲魂の誕生こそが含意である。 

ここに一貫して流れているのは、死と再生のテーマである。

水の中で古い自分を捨てて、水から出て新しい自分になり、神とともに食事をする。

クリスチャンならすぐに理解できる。

これは、バプテスマと聖餐である。

諏訪大社における物部氏の儀式御頭祭において、縛られて横になった子供を神官が刀を振り上げ、殺す直前に別の神官が制止し、代わりに鹿をささげる。

これは、明らかにアブラハムのイサク献上である。

ちなみに:友人の島茂人氏がよく訪問していた諏訪大社の宮司の娘で貿易会社を経営するKさんによると、両親の間の話題には頻繁に「イスラエルと神社の類似点」が上っていたという。

聖書では山羊だが、諏訪大社では鹿。

私は、日本では羊の代わりに鹿が用いられていたのではないかと考える。

だから、忌部氏(阿波の三木氏)が提供する大嘗祭で着る鹿服(アラタエ)は、羊服。

天皇は、羊を着る。

羊=キリストなので、キリストを着る。

主イエス・キリストを着なさい。…(ローマ13・14)

大嘗祭は、天皇がクリスチャンになる儀式である。

3.

ここから、皇室の儀式一般をとりしきる物部氏の中のレビ人たる忌部氏がクリスチャンであるとわかる。

友人のK氏の奥さんは母方の出が四国であり、しかも、皇室に調度品を提供する家系であった。

奥さんのお母さんの顔が外人顔で、奥さんも目が大きく、日本人とちょっと違う顔をされていた。

K氏はもろに日本人の顔なので、最初に娘さんに会ったときにはびっくりした。

どうしてK氏からこのような外人のような子が生まれるのかと。

奥さんの系列がそういう顔なのだ。

奥さんは、おそらく四国に入ったレビ人の末裔だろう。

K氏もレビ人の末裔。

二人は結婚するべくして結婚した。

K氏よりも7歳年上である。

どうしても結婚ができなかった。

結婚相談所で見つけるしかないかと、足を運んだがいい人がいなかった。

むなしい気持ちで建物を後にしたときに、K氏の姿が一瞬脳裏に浮かんだ。

「この人が備えられている」と悟った。

その後、奥さんが勤めていた会社の社長が強引にK氏がジャズバンドマスターとして働いていたお店に誘った。

そこでK氏とはじめてであった。

宇宙の話など不思議なことが大好きであるなど、興味が一致し、出会ってすぐに結婚した。

そのときK氏はクリスチャンではなかった。

むしろまったくキリスト教に興味がない人間であった。

一家が清瀬市に引っ越す際に、奥さんが丹波の綾部に神学校を持つキリスト教の教団の教会に通うようになった。

この教団の創設者は丹波の西村一族で、家紋が三つ木瓜。

物部氏である。

その奥さんも若狭湾の出身。

後に真名井神社に注目する一つのきっかけを作った牧師の所有していた『裏返して見た日本歴史』の著者三村三郎は、大本教の信者。

大本教の本部は綾部にある。

私の祖父も大本教の信者であった。

全部、物部でつながっている。

4.

物部氏のルーツは徐福で、徐福は秦の始皇帝と同じ嬴族。

この嬴族は、西域の民族で、おそらくユダヤ系。

始皇帝の本当の父親は呂不偉(レビ)。

徐福もヨセフと言われている。

日本建国伝説に登場する夫余の王解夫婁は、ヘブル。

日本への渡航を勧めた宰相の名は阿蘭弗=アラブ。

その日本に当たる場所の名前が、迦葉原=カバラ。

日本読みにすると意味が通じる。

中国語読みだと意味不明。

解夫婁=チエ・フ・ロウ、

迦葉原=チア・シエ・ユアン。

漢字は、物部氏の先祖である嬴族が、作り、編纂したものなのではないか。

もちろん、秦国のできる前に漢字は成立している。

しかし、もともとあった漢字を、聖書的に編集したのではないか。

だから、聖書的な意味があるのではないか。

義=羊+我=羊の下にいる私は義人。

犠牲=牛+義+生=牛の義によって生きる。

叶=口+十=言葉が十字架によって聖められているならば叶う。

その他は以下を参照されたし。

http://kf-planning.blogspot.jp/2013/07/blog-post.html

羊や牛をいけにえとしてささげていたレビ族が考えたのだろう。

そして、そのレビ族の人々による読みだったのではないだろうか。

5.

私の推測では、徐福の一団にレビ族がいた。

イスラエルがいて、レビ族がいないはずがない。

なぜならば、祭祀はレビ族だけが行えたから。

今日の従軍牧師(チャプレン)のように、イスラエル人が移動すると、レビ族もついていき、宗教生活を支えた。

日本においてレビ族は神社を建てた。

物部氏の出雲大社はもともと巨大な木造建築で、ピラミッドを連想させる。

http://inoues.net/mystery/izumo_nazo.html

神社の社(やしろ)は、山代なのである。

つまり、山の代わりとして建てられた。

聖書において、山は神の臨在を象徴する。

律法は山から与えられた。

イエスは祈るときに山に登られた。

エデンの園において、アダムとエバはエデン山に向かって礼拝をささげていたことだろう。

初期のピラミッドはオベリスク型であった。

ユダヤ人の墓地にオベリスクが建っているのは、ピラミッドを示している。

ピラミッドとオベリスクはもともと神の民の象徴であった。

神社は、和式のピラミッドとオベリスクである。

もともと日本の宗教は物部氏の聖書的キリスト教だった。

 

 

2015年8月3日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net