「ダビデの幕屋の回復」について7



日曜礼拝の時にイスラエルの回復をずっと言ってるので違和感は感じますが、この頃は終末論もダビデの幕屋の話もやめてるのでイスラエルの回復を主張だけだと問題にはならないのかなと思ったりします。

メシアニックジューに関してもずっと交流をしてるようです。しかし、ご存知でしょうか?メシアニックジューはイエスが聖霊によって生まれたことを否定してるそうです。あくまでもユダヤ人の血統を持った人間として理解してるそうです。イエスが洗礼を受けた時に神様の養子としてメシアとなったと理解してるそうですよ。

なので、メシアニックジューはクリスチャンとは言えないと思いますし、メシアニックジューという言葉がある以上、ユダヤ人たちは自分たちを異邦人とは区別しようとしてるようです。

「メシアニックジューはイエスが聖霊によって生まれたことを否定してるそうです。あくまでもユダヤ人の血統を持った人間として理解してるそうです。イエスが洗礼を受けた時に神様の養子としてメシアとなったと理解してる」

私があるメシアニック・ジューの牧師とかかわっていたころは、このようには言っていませんでした。

しかし、もしこのように言っているのであれば、もはやキリスト教と認めることはできません。

イエスは、ユダヤ人の父母の子として「法的に」生まれましたが、「実際的に」つまり「物理的に」は、「新しく創造された人間」として生まれました。

つまり、イエスには、アダムの子孫の血は流れていません。

アダムの遺伝的血統に属するならば、アダムに加えられた原罪と堕落を受け継ぐことになります。

イエスは「生まれながらに御怒りを受けるべき子」ではありません。

あらゆる罪と堕落から解放された状態で生まれました。

しかし、「契約的には」ヨセフとマリヤの子として生まれました。

イエスは、「法的・契約的には」ユダヤ人ですが、「実際的・物理的には」新人類です。

もし罪を背負って生まれてきたならば、贖い主になれません。

十字架で処刑されても、自分の罪の代価を支払うことしかできません。

汚れた雑巾で、床の汚れは落ちません。

人類の罪を背負うには、完全に聖くなければならない。

しかも、神でなければ、多くの人の罪を背負うことはできません。

単なる聖い人間であれば、一人の人の罪の身代わりに死ぬだけです。

一人の人間の命は、一人の人間の命を贖うことしかできません。

イエスは神であったので、多くの人間の命を贖うことができます。

それゆえ、イエスは「完全に聖い人間」であると同時に「神」でもあります。

メシアニック・ジューがもしこの教えに背いているならば、異端と認定せざるをえません。

 

 

2016年4月30日



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