カルケドン・レポート翻訳


20世紀を振り返って


R・J・ラッシュドゥーニー


 20世紀は、世界的な規模の変化と革命、変動の世紀でした。世界は常に変化しています。しかし、20世紀のそれは、特に急激なものであったと言えるでしょう。

 ここに、極めて大きな影響を与えた2人の人物がいます。その仕事はもっとも急進的であり、その影響は最も邪悪でした。これらは、ベニート・ムッソリーニジョン・デューイです。前者は政治と国家に、後者は教育と国家の問題にかかわりました。

 ムッソリーニは社会主義を多くの人々に受け入れやすいものに変え、魅力のあるものにさえしました。彼は、マルキストでしたが、私有財産の廃止が大多数の人々に受け入れがたいものであることを熟知していました。そこで彼は「ファシズム」という体制を作りました。ファシズムは、私有財産を表面的に認め、社会主義の「名」を冠し、自由国家の体裁も保ちました。私有財産権や資本主義を維持しつつも、税金によって、実質的に財産を国有化することに成功しました。国民は、多額の税金のために、自分の持ち家に住むのに家賃を払わなければならないのと同じ状態になっていました。・・一例をあげると、1960年に(カリフォルニアに)建った家に対して、1971年から1975年の間に掛けられた税金の課税評価額は、1960 年当時の建築費に少し上増しした金額でした。・・

 (ファシスト国家において)国民は、財産の所有を許されていると思っていましたが、実状は、税金によってすべてを奪われ、あらゆるものを国家から借りている無産者に等しい状態に置かれていたのです。事業においては、状況はさらに悲惨でした。

 ムッソリーニの業績は、社会主義を現代人に受け入れやすいものに変えた、という点にあります。今日、国家主義者は「ファシスト」という称号を人をけなす言葉として用いていますが、実質上、彼らが行っていることは、ファシストの仕業と何ら変わりありません。むしろ、彼らはそれを他人にすすめてさえいるのです。

 教育において、ジョン・デューイは、国家主義教育こそ救いであると考えていました。ホラス・マンはこの考えを、ドイツの社会主義を参考にしながら、アメリカに導入しました。マンは、国家主義教育は貧困と犯罪を廃絶すると信じていました。デューイは、国家主義教育こそ、「大共同体 the Great Community」とか「大社会 the Great Society」の建設の鍵になると考えていました。

 この考えをもっとも忠実に実行したのが、スウェーデンでした。1972年に、ローランド・ハンツフォードの優れた著作『新しい全体主義者たちThe New Totalitarians』の初版が出されました。恐怖による社会主義国家建設というソビエト・ロシアのモデルと比べると、スウェーデンのモデルは、教育とマインドコントロールによる新しい全体主義の建設でした。当時スウェーデン副教育大臣であったスヴェン・モベルクは、「我々はこの制度が、ファシストイタリアのように、権力の濫用(abuses)であることを知っている。そして我々はそれを排除するつもりである。しかし、協調組合主義(corporatism)が労働市場において成功を収めてきたので、それが社会全体の問題の解決にもなるだろうと信じている。技術の発展には集産主義的社会が必要なのである。」(Huntsford, p. 121)と述べました。モベルクは極めて率直です。ほとんどのファシストたちは、批評家たちを罵倒するためにこの用語を用います。

 ムッソリーニとデューイの思想において、救いは人間によってもたらされます。救いは国家主義者の活動と国家主義教育によって実現するのです。デューイは「民主主義」と「民主主義的」という用語を縦横無尽に使いますが、『共通の信仰A Common Faith(1934)』において、聖書的キリスト教は民主主義と全く相容れないものであると述べています。なぜならば、キリスト教は人間を救われた者と救われない者とに二分し、善と悪を分けるからです。デューイにとって、民主主義は人間の間にいかなる区別ももうけません。デューイにとって、唯一の悪とは、罪というようなものが存在すると主張することであり、ある人々またはある事柄が悪であると信じることなのです。今日私たちの回りには至る所にデューイの思想の果実を見ることができます。  ムッソリーニとデューイの世界、つまりファシズムの世界は、私たちの回りのあらゆる場所にあり、世界の大部分を支配しています。レーニンやスターリン、ブレジネフの旧式の全体主義は、ムッソリーニとデューイの新式の全体主義に道を譲りました。そして、新しい全体主義の方が、旧い全体主義よりも、その狡猾さと危険性において、一層有害なのです。

 悲しむべきことに、多くの教会はこの脅威に対してあまりにも盲目です。クリスチャンとホームスクール運動は、ジョン・デューイとそのヒューマニズムに対する強力な対抗手段となっていますが、ファシズムの政治的脅威は忘れられています。西洋世界の主要な政党はほとんどの場合、ファシストであり、通常、この用語は左派右派を問わず適用できます。

 クリスチャンは未来への方向を指し示すべきです。そして、その兆しは現れつつあります。クリスチャンは、自らの信仰には、単に地獄からの救いの道を示すことだけではなく、御国建設の計画の実現も含まれていることを認識すべきです。真の意味で救われている人々は、ただ天国への列車を待っていればよいのではなく、主のご命令「私が帰ってくるまで占領しなさい。」(ルカ19・13)に従わなければならないのです。現代のヒューマニズムの世界は、「我々はこの人に王になってもらいたくない。」(ルカ19・14)と叫んでいます。私たちにとって問題は、次の単純な問いによって表すことができます。「神は我々を支配しているのだろうか。我々は神に従っているのだろうか。」

This article was translated by the permission of CHALCEDON.
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