借り手は貸し手の奴隷となる2


日露戦争の前と後で、日本は大きく変わった。

日本は悪魔化した。

日露戦争では捕虜に対して寛大な処置が取られたが、戦後捕虜への強制労働などきわめて残虐な対応が行われた。

日米開戦時、宣戦布告通知がなぜ遅れたのか。非常に奇妙な出来事が起きたためだ。

野村来栖両大使が出席していた葬儀が遅延し、なぜか彼らは中座しなかった。当時「条約」担当であり、葬儀に同席した松平康東一等書記官は次のように証言している。


「…(葬儀は)短時間の予定でしたが、司式するアメリカ人の牧師が、新庄大佐の高潔な人格を賛美して、長々と告別の辞を述べるので、気が気でならず、中止してもらいたい、と思うものの、それも出来ず、気があせるばかりでした。というのは、その日の午後一時には『国交断絶のやむなきに至った』旨を野村大使に同行して、ハル国務長官に最後通告に行く予定になっていたからですが、行くにもいけない。それで、時刻を遅らせて面会する以外にはありません。アメリカ人の牧師は、新庄大佐が自作された美しい英詩を、次々に順次に朗読し、どんなに年齢と共に精神的な成長をなさったかを、ノートを取り出して読みながら述べて、口を極めて遺徳を頌めたたえるのでした。

その時『ハワイの真珠湾を日本が攻撃中』の無電が入って来ました。でも、あまりにも美しく感動的な説教が続くのが印象的でして、聴き入る上官たちに『葬儀の中止』を耳打ちするのですが、黙って終わるのを待っておられました。私は和戦交渉の担当官として、あんなに気をもんだことはありませんでした。

葬儀が終わるや否や、野村、来栖の両大使は国務省にむけ、フルスピードで自動車を走らせ、ハル国務長官に面会して、日本の最後通告を伝えたのでしたが、ハルが『無通告の奇襲攻撃』と激怒したのも当然ですが、実は事後通告となった舞台裏の事情は、アメリカ人牧師が長々と悼辞を述べたからなのでした。…」(出典『新庄健吉伝』著者稲垣鶴一郎が「原始福音」一七七号から転載したものを引用)(146ページ)

http://www.millnm.net/qanda2/5BPzABK80627.htm

「でも、あまりにも美しく感動的な説教が続くのが印象的でして、聴き入る上官たちに『葬儀の中止』を耳打ちするのですが、黙って終わるのを待っておられました。」

この失態は偶然だろうか。それとも、意図的だろうか。

偶然と考える人が多いだろう。

しかし、もし日米両方とも、真の支配者がヤコブ・シフ=ロックフェラーであるとすれば、意図的と判断しても無理ではないと思う。

つまり、野村、来栖両大使は、この世界統一政府論者の指令に従って、開戦通告を意図的に遅らせた。

激怒したアメリカ人は、まんまと彼らの計略に乗せられて日本と戦争をする。

なぜ日露戦争後、日本は残虐行為に手を染め、様々な悪魔的仕業に走ったのか。なぜ開戦通告が遅延したのか。

こういった「日露戦争後の日本の異常」の回答は、「世界統一政府論者にやらされたから」であると考える。

識者の検証をお願いする。

 

 

2007年9月4日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp