なぜ聖書は正しいのか2


<Q>

自分が先生に初めてメールした時の質問したことです。

自分は聖書がなぜ正しいのかたくさん質問しました(下記のアドレスを参照してください)
http://www.millnm.net/qanda3/97mKwGis1RPT00047.htm


そこで既に終わったことなのですが再び確認の意味を含めて
下の文章に目を通して先生の意見を聞きたいです
ーーーーーーー以下本文ですーーーーーーー

聖書を「証明」することはできないはずです

なぜなら仏教徒に聖書は正しいから信じましょうと言ったとしてもその人は
「それはあなたが聖書をあくまで信じているからであって、あくまで証明不可能な『信仰』
である」と


なぜなら、仏教徒は仏教を「前提」としているのであって、キリスト教は聖書を「前提」
としているからです

それでは一体どの「前提」が正しいか証明しようとしてもそれは不可能です

なぜなら人間はなんらかの「前提」がないと思考できないからです

となると、完璧に証明されて一つの欠陥もない100%で「正しい前提」を知ることは不可能です(何の前提にも頼らずに)


となると、最終的に人間は何を選択するかの違いです

もちろんさっきのホームページ(下にもう一度書きました)にのっているように
http://www.millnm.net/qanda3/97mKwGis1RPT00047.htm


「すけべ根性や歴史のない宗教は正しくない」という先生の話は理解できますが

純粋に混じりけがなく、かなりかなりかなり厳密に展開すると
「すけべ根性があり、歴史のない宗教は正しくない」ということを正しいといいきれません



よって全ての話を結論としてまとめるとこうなります

1、色んな宗教がある

2、人間は何かを選択しないといけない

3、聖書は「聖書を信じなさい」と言っている

4、だから人間は聖書を信じる




ーーーーーーーこれで終わりですーーーーーーーーーーーーーー


上にかいた文章に対して批判やおかしい点を言ってください

<tomi>

もう一つ付け加えるべきなのは、「人間は無証拠の状態において選択する」というわけではないということ。

神は自然界を通じて神が存在すること、神がどのようなお方であるかを啓示されています。


神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1・20)

人間は、あたかも、自分が犯した殺人事件においてビデオで事件を撮影され、無数の証人に顔を見られ、しかも、手に血のついた包丁を持ち、その包丁についている血が、血液鑑定によって被害者のものと同じであることが分かっている犯人のようなものです。

つまり、無数の証拠に取り囲まれていてもはや殺害を否定できない状況に陥っている。

だから、神は人間に対して常に「なぜ私を信じないのか?」と問い続けておられる。自然を通じて。

木々や草花、空、天体、海、山を見るときに、雷の音を聞くときに、神は「ほらこれが証拠だ」と示しておられる。

我々は365日神の証拠に取り囲まれているのであり、それゆえ、「どの前提を選択したらよいか分かりませんでした」とは言えない。

我々が聖書の神を信じることは、選択の問題ではなく、MUSTなのです。

それは、自由ではなく、命令です。

人間は信仰を持たねばならない。

聖書の言っていることを、丸々信じなければならない。

それを信じさせないのは、自我であり、頑固であり、傲慢です。

人間は真理を押し殺す。

だから、私は、アメリカ人無神論者との議論の際に、「俺は神なんて信じないね」という相手に向かってこう言う。

「僕は、君が神を知っていることを知っているよ。君は、誰も見ていないときに、神に祈って助けを求めたことがあるね。」と。

「そんなことないよ。一回も助けを求めたことはない。」という人を一人も知らない。

必ず議論はそこでストップする。

つまり、反論できない。

自分が神をひそかに知っていることを指摘すると必ず相手は黙る。

人間は、神を知っているのである。

いや、神が人間に神を啓示されたから、不可避的に神を知っている。

なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。(ローマ1・19)

「神が明らかにされた」のだ。

神はご自身について、すべての人に「明らかにされた」!

神はすでに証明を完了された。

だから、神を知らないとか、証拠がないのでキリスト教を信じないというのは、「嘘をついているのだ」。

万人は、神が存在すること、どのようなお方であるかということを知っている。弁解の余地はない。だから、前提の選択において自由はない、ということです。

 

 

2009年8月19日

 

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