プレ・ミレでは教会を励ますことができない


> ミレニアムウェブページを読み、後期千年王国主義も、捨て難
> い思想であると感じ入りました。
> 私は、単立教会でプレミレニアムを説く、山岸登先生の聖書解
> 釈を受け、プレミレニアムを信条としてきました。
> しかし、救世軍のブース初代大将が、ポストミレニアムを信条
> としたからこそ、救世軍主義による社会改革、典礼改革を断行
> し、神に千年王国を引き継ごうとしたと知り、プレミレニアム
> は実は聖書解釈を誤っているのではないか?と思うようになり
> ました。
> そして、ミレニアムのページのFAQを読み、ますます疑問が
> 湧いてきました。

私は最初プレ・ミレを信じていました。
しかし、プレ・ミレを信じると、どうしても運命論者のようになり、社会の堕落や崩壊を「終末の出来事」として受け入れる以外になくなり、教会に閉じこもって再臨を待つだけの「カルト的心情」に陥る以外にないと悟ったのです。

これは、「地の塩、世の光」としてのイエスの教えたクリスチャン像とは異なっているのではないか。また、イエスが教えられた「天で行われるように御心が地上でも行われるように」との祈りとも矛盾するのではないか。さらに、「すべての国民を弟子とせよ」との大宣教命令とも矛盾するのではないか。

そのように感じ、考えを変えました。

この変化は、個人的な信仰をも変えました。

それまでは「時流に逆らうことはできない」という諦めの気持ちが大きかったのですが、ポスト・ミレを信じてから、「今は千年王国であり、我々はイエスとともに王である」と信じることができ、我々の活動が世界を変える力を持つことを確信できるようになったので、世の中の常識に合わせることをやめて聖書の教えに基づいて大胆に行動することができるようになりました。

プレ・ミレを信じているときには、「自分は少数派だ」という意識が強く、個人的な生活における勝利も確信できなかったので、人の目を恐れていました。しかし、今は、聖書が基準であり、聖書の基準に沿って行動していれば、必ず神が助けてくださるとの確信のもとに、心を常に安定状態に保つことができるようになりました。

プレ・ミレは、「ポスト・ミレは非現実的です。世界の現実を見てください。どうしてこれがキリストの王国なのでしょうか。」と言います。

しかし、イエスははっきりと「私はすでに世を征服した」と宣言しておられる。そして、聖書は「キリストは天に上られ、神の右の座につかれた」と王権宣言をしている。

たしかにプレ・ミレの人々も「我々は王である」「キリストは王である」と言います。しかし、プレ・ミレは、「王国は再臨の先にある。今、これからサタンは世界を制覇し、大患難時代が来る」と述べ、未来におけるサタンの勝利を前提としているので、首尾一貫性に乏しく、それゆえ、脆弱な立場であると思います。

「これから、我々は大患難においてサタンの勢力に負けるが、再臨によって逆転勝利できる」と言われても力はでません。

本当に我々を励ます教えとは「これからの未来において、我々はサタンに勝利する。」と大胆に一点の疑いもなく宣言するものでなければなりません。

科学特捜隊の隊長は、メンバーにむかって「ウルトラマンが来るまでは、我々は必ず怪獣に負ける。どんなに努力しても無駄だ。しかし、がんばって戦おう」と言ったでしょうか。

「隊長、そんな励ましでは、やる気でませんよ。」と隊員から言われてしまいます。

ウルトラマンでは、科学特捜隊が勝ったのは私の記憶では1度しかなかったですが、彼らは勝てるという信念を前提として戦ったはずです。そうじゃなきゃ、あの組織の存在意味がありません。

プレ・ミレは、実質的に、サタンの勝利を前提としているがゆえに教会を励ますことはできません。


> 主イエスの預言により、戦争、飢饉、エルサレムの壊滅は不可
> 避ですが、ダビデ時代のイスラエルや、ニネベの町ように、主
> が情けをかけ、災いを中途で思い留まって下さる可能性は残っ
> ています。

お言葉ですが、プレ・ミレは、マタイ24章などを終末予言としてとらえていますが、ポスト・ミレはそのようにはとらえません。

あれは、紀元70年のイスラエルの神殿崩壊に関するものであり、世界の終末予言ではないと考えます。

詳しくは、以下を参照してください。

http://www.path.ne.jp/~millnm/no21.html
http://www.path.ne.jp/~millnm/no22.html
http://www.millnm.net/qanda3/11hra4Uy4ncxU60331.htm
http://www.millnm.net/qanda3/88DZAG9qrJpqE60532.htm
http://www.millnm.net/qanda3/551ruIEHDDRjc60652.htm

> プレミレニアムでは、時流に流されるだけですが、
> ポストミレニアムなら、主に誠意を示すことができます。

まったくそのとおりと思います。

> しかし、ポストミレニアムの概念は、二重予定説や奴隷意志論
> との整合性がどうなるか、私には分かりません。

ポスト・ミレは、クリスチャンの善行によって世界が次第に弟子化し、最後に万物が原初の秩序(神中心の世界)に回復し、その後にキリストは再臨すると考えます。

そして、これは、すでに神が永遠の昔に予定されたことです。

誰が救われて、その働きに参加し、誰が救われず、その働きを妨害するかは、永遠の昔に神が決定されたことです。

神にとって歴史とは、すでに撮影済みの映画のフィルムを上映しているようなものです。

すでにストーリーは決定して、撮影も終わって、起こることもすべて決まっています。

我々が「現在起こっていること」として目の前で見ている事柄は、すべて永遠の昔に神が決定していることであり、映写フィルムから銀幕に映し出されていることなのです。

映画館の観客が、映画の結末が変わるかどうか心配しないのと同じように、我々もキリストの勝利を心配する必要はありません。


> いずれにせよ、日本語による、ポストミレニアムについての文
> 献を読んで、少し学んでみたいのですが、聖恵授産所の本は品
> 切れでした。ウェブサイトで紹介の邦訳文献、頒布はしていら
> っしゃらないでしょうか?

以下の書物をご紹介します。

福音の勝利 ― 聖書的終末論への導入. 著者:ラルフ・A・スミス. 訳者:福音総合研究所出版部. 発行:福音総合研究所. 〒180-0006 東京都武蔵野市中町 1-28-1 丸和ビル. info@berith.com. 定価:1100円.

 

 

2005年9月19日

 

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